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遺族の兄が語る弟の生活実態――51歳の男性を孤独死に追い込んだもの

『家族遺棄社会』 #2

2020/08/12
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友人なし、恋人なし、家族との距離も遠い

 紺野が弟と最後に会ったのは、お正月だった。その日、弟は日に日に増えていく酒量を巡って心配した母親と言い争いになった。それが最後に見た弟の生きている姿だった。

 亡くなる数日前にも弟の携帯に電話をしたが、電話口の弟はアルコールのせいか、ろれつが回っていなかった。弟は幼少期から人付き合いが苦手で、内向的で引っ込み思案な性格だった。友達の輪になかなか入ろうとせず、友人の多い紺野とは真逆の性格だった。

 大学卒業後、仕事を転々としたが、20代後半から独立。システムエンジニアとしてフリーで仕事を請け負うようになる。事務所兼自宅として使っていたこの物件はその頃に借りたものだった。

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男性が51歳で孤独死した自室

 一時期は通帳残高が1000万円を超えたときもあったが、内向的な性格と時代の流れもあって、その後仕事は徐々に減り、貯金を食いつぶしながらひきこもりに近い生活を送るようになる。しかし、母親には毎年小遣いを渡す心優しい一面もあった。

 紺野が覚えている限り、弟がこれまでに女性とお付き合いした様子はなく、仕事の付き合い以外では、友人もいないようだった。

医療機関の受診をかたくなに拒む

 社交的な性格である兄に対して羨望もあったのだろう。「兄貴は外面いいよな」と、嫉妬とも取れる言葉を投げかけられたこともある。家庭持ちで一見順風満帆に見える兄が、羨ましかったのかもしれなかった。紺野にとって、今でも忘れられない出来事がある。

 弟は数年前から痛風を患い、立っているのも辛い様子で足を引きずっていたという。

「それだけ体が辛いんだったら病院に行ったほうがいいんじゃないか」と紺野は何度も説得した。しかし、「大丈夫だよ」と言って、医療機関の受診に激しい拒否反応を示し、どんなに症状が悪化しても病院を訪れることはなかった。そもそも弟は健康保険証すら持っていなかったのではないか、と紺野は考えている。