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八虎くんの姿、できれば長く見たい

会田 コミックの巻数でいうと、『ブルーピリオド』は第6巻で一区切りありますよね。それまでは受験編で、第7巻以降は新章として仕切り直しになりましたね。6巻まではスポ根漫画的な要素もありましたが、これからはもっと複雑な美術の話、たとえば「絵を描くとは?」「いい作品とは?」みたいな問題に切り込んでいくんでしょうか。

山口 そうですね、八虎が美術をやっていくうえでぶつかる出来事をあれこれ描いていくことになりそうです。ものごとはいろんな方向から眺めたほうがいいと思うので、美大の教育制度を批判する人がいたり、逆に教授の側から学生の様子を見てみたり、多彩な視点を盛り込めたらと考えているところです。

 そういう意味で『げいさい』は、模擬店で打ち上げをするシーンなんかはとくに、たくさんのキャラクターが次々登場して、さまざまな立場からの意見が入り乱れて、美大や美術界の縮図みたいになっていますよね。『ブルーピリオド』の読者がこの場面を読んだらどう思うのかな……、と想像しちゃいました。

©文藝春秋

会田 評論家と教授が口論したり、業界のややこしい事情が入ってきますからね。そういうのまで組み込んでいくと、面倒な話になって漫画としては人気に響くかもしれない……(笑)。

 描き手の構想としては、この作品はどこまで描いていくつもりでいるんですか。八虎くんの姿、できれば長く見たいものです。少なくとも卒展まではいってほしいな。いや読者としては、彼が卒業して最初の個展を開くくらいまでは追いかけたいかな。

山口 私としては、それが許されるのであれば、やれるところまでやりたいとは思っています。もともとこのテーマ、このシーンを描くまでは止めないぞといったものがあったわけではないんですけど。会田さんは『げいさい』を書くにあたって、「これだけはなんとしても描き出すのだ!」というものはあったんですか?

会田 強いて言えば、「自由に絵を描きなさい」という言葉について考え尽くしてみたかった、というのはあったかな。これは1986年の芸大絵画科油画専攻の試験で出た問題文なんですよね。二朗はこの問題に真っ向から取り組んで、玉砕するわけです。

 受験の出題としてだけでなく、自由に絵を描くというのはかなりの難題でして。これがかつての、たとえば17世紀のヨーロッパで絵を描いているのなら、画題は聖書の一場面から持ってくればよかった。というか、それ以外は許されませんでした。画家は何をやればいいか明確だった。けれど20世紀以降、画家はしがらみから解放されて何をしてもよくなったと同時に、自由であることの辛さも自分で背負わなければならなくなった。これはなかなか大変なことです。