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2020/08/09

genre : ニュース, 社会

 さらに渡辺の組長としての当事者性を失わせた出来事が起こる。山口組系組員が警戒中の警察官を対立組織の幹部と間違えて射殺してしまった事件で、渡辺の使用者責任が問われ約1億6000万円の損害賠償を請求する訴訟が起こされた。この訴訟で最高裁は2004年11月に上告を棄却、渡辺の使用者責任が認定されると、渡辺の言動が変調をきたす。

 これは民事訴訟であるため、渡辺が刑事責任を追及されたり、刑務所に服役することはなかった。いわばカネで解決できる問題だった。それでも、渡辺が大きく動揺したため、山口組最高幹部らが渡辺に対して懐疑的な目を向けるようになり、次第に渡辺は精神的に追い詰められ、事実上の職務放棄となる休養宣言を出す。

 多くの直参たちの間では、新体制を求める声が次第に大きくなって行った。

宅見勝若頭が殺害された事件現場のホテルを視察する警察庁幹部(左端)(1997年) ©共同通信社

なぜ先輩格を追い抜き6代目に就任できたのか

 宅見が射殺された後、長年にわたり若頭は空席のままとなった。

 宅見のほか当時の最高幹部には、先述の通り、司よりキャリアが長い先輩格として桑田や滝沢らがいた。なぜ彼らではなく、司が6代目を継ぐことになったのか。

 そこには、警察当局の動きと最高幹部たちの健康状態が関係していた。

 当時、宅見射殺事件後に山口組内部が抗争状態となっていたため、多くの直参組長らはボディーガードに身辺警護させていた。警察当局はそこを狙い撃ちにして、最高幹部の逮捕劇を繰り返していく。

 まず、1997年9月、若頭補佐の滝沢と司のボディーガードが拳銃を所持していたとして大阪府警に銃刀法違反の現行犯で逮捕され、同年11月には滝沢と司本人も共犯として指名手配される。