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体制固めは「ツートップ独占」だけではない

 6代目組長となる司は、弘道会でツートップを独占した他にも、自身の体制を固める異例の人事を行っている。

 これまで、ひとつの傘下組織から「直参」と呼ばれる直系組長に取り立てられるのは1人のみ、というのが慣習だった。

 しかし司は2005年、「弘道会」会長を同会若頭だった高山に譲り、自らは総裁を名乗り、以前に所属していた「弘田組」を再興させ、同組長に就任してしまう。

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 司は当時山口組若頭補佐だったが、高山を2代目弘道会会長として直参と呼ばれる山口組直系組長に引き上げたのだ。司が別の「弘田組」組長を名乗ったとはいえ事実上、弘道会から2人の直参が登用されることになった。

 そして、弘道会支配の布石を着々と打った司と高山による人事上の戦略をさらに加速し、2005年8月8日、高山の山口組若頭への就任が決定、同月27日には司が6代目山口組組長に正式に就任。山口組内の前例や慣習を打ち破ったというより、全く無視した人事を断行することになる。

山口組ナンバー2の高山清司若頭 ©共同通信社

 長年にわたり山口組をはじめとする暴力団情勢をウオッチしてきた警察幹部が指摘する。

「これまでの山口組は、組長が代替わりするなど大きな節目となると、跡目をめぐって組内の有力組織の間で対立が生まれ、内部抗争を起こしてきた。それをよく知っている司と高山は、強権体制を確立してこれを抑え込む必要があると考えていたのではないか。このため組長、若頭のツートップを独占する必要があったと推測できる。これは山口組の歴史上、前例のない人事だった」

 当時、この人事を目の当たりにした山口組系幹部は、次のように振り返る。

「弘道会の高山さんといえば、誰でも知っている業界では有名な人だったことは間違いない。当然いつかは直参に取り立てられるだろうと思っていたが、2代目弘道会を継いで(山口組)本家の若い衆になったと思えば、あっという間に(若)頭補佐になり、さらに(若)頭になった」

 司と高山は、さらなる強権体制を築くため、手を緩めていない。

 2013年には3代目弘道会会長に竹内照明が就任し、山口組直参に昇格。15年には若頭補佐となっており、現在では事実上、山口組最高幹部に弘道会出身者が3人となっている。「弘道会支配」は、いまもなお強化され続けているのだ。(敬称略)