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Zeebraと日本語ラップの30年 『Grateful Days』“予想外”チャート1位と『いいとも』出演秘話

Zeebraインタビュー #2

2020/08/19
note

上皇さまと美智子さまに「ラップ」をどう説明したか?

――国や自治体関係者はヒップホップとは縁遠いイメージですが、コミュニケーションはどのようにされていますか? たとえばどんな服装で行くかとか。

Zeebra 今はコロナ関連で議員会館に行くことが多いので、そのときはさすがに上着くらいは着て、サンダルはやめておこうかなくらいで、わりといつもと同じスタンスですよ。それこそ風営法改正のときにお世話になった議員さんは同い年でしたし、渋谷区長も同学年。だから今日みたいなニューエラ(キャップ)も被っていきますし、ちょいちょいタメ口も挟んでますね(笑)。

 

 そういえば、上皇陛下と上皇后陛下にラップのことを「韻を踏みながらリズムに合わせて言葉を言います」と説明したことがあるんです(笑)。2016年、あるチャリティコンサートでライブをしたときにお二人が臨席されて、その後にお話をさせていただく時間があって。上皇陛下から、「ラップといえばあなたがやっていましたね」と美智子さまにおっしゃるので、こちらがキョトンとしていると、美智子さまから「ポリネシア」や「インドネシア」などの国名を覚えるためにご自分で作られた曲のようなものを口ずさんだことがある……というエピソードを教えてくださったんです。あのときは本当に驚きました(笑)。

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HIROやZOOのメンバーと遊んでいた90年代前半

――ヒップホップ・アクティビストとして面目躍如のZeebraさんですが、ヒップホップの盛り上がりを日本で最初に感じたのはいつ頃ですか。

Zeebra 1989年に『DADA L.M.D』というダンス番組がテレビ朝日ではじまってZOOが結成されたんですけど、そのときは「やっと日本にもヒップホップがやってきた」という感じがしました。同じ頃に『ダンス甲子園』も始まりましたしね。

著書『ジブラの日本語ラップメソッド

 それに僕自身、はじめにDJとしてダンサーのイベントに顔を出してたこともあって、ZOOのメンバーとはしょっちゅうつるんでたんです。HIROやLUKEとは特に仲良くて、彼らの家に車で迎えに行っては、渋谷とか六本木とかを一緒に回って遊んでました。HIROはもう忙しくてそんなに会えなくなっちゃいましたけど、会えば当時の話に花が咲きます。LDHのアーティストとラッパーがコラボすることもあるし、関係は続いてますよ。