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「我々は暴力団ではない。任俠団体だ」社会の汚れ役に利用されてきたヤクザの心の声

「潜入ルポ ヤクザの修羅場」#25

2020/08/16
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プロパガンダの一環としてヤクザはマスコミに登場する

 ヤクザたちがマスコミに登場するもっとも大きな理由は、プロパガンダだろう。憎まれ、恐れられながらも、暴力団は市民から慕われなければならない。すべての国民から完全なる社会悪と認識されたら、支援者を失い、生存基盤が消えてしまう。現在、福岡県警からテロ組織呼ばわりされている工藤會は、『実話時代』で最も露出頻度の高い組織であり、警察庁長官から壊滅を指示される山口組弘道会もまた、週刊誌を使って任俠団体であることを喧伝する。先鋭化した組織ほど、反面、マスコミを使って任俠団体であることをアピールしなければならないのだ。

 これはつまり、暴力団が一部の市民と共生していることの裏付けだ。暴力団だけが悪いのではない。それを使うカタギにとって、暴力団はたしかに任俠団体なのである。

 東北の某組織を取材したときのことだ。親分は新しくできた情婦の家族を温泉旅行に連れて出かけた。たまたま近くを通りかかり、電話をかけたので、私もその旅行に同行した。ガードの若い衆や運転手をはじめ、情婦の両親、兄弟、親戚まで、総勢20名近くの旅行となった。

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©iStock.com

 兄弟や親戚は、みな堅い仕事だった。公務員、会社員、高校教師さえもいた。最初は戸惑っていた縁者たちは、暴力団の絶大な力を目の当たりにして、次第に熱病に罹患した。東北でも有名な花火大会の際、地元の友好団体が強引に場所を占拠し、一般人が入れないエリアまで車を入れ、客となった情婦の縁者たちを運んだ。

「あれ、ヤクザだろ!」

 一般市民の白い目は、しかし彼らにはわからなかった。一等地に陣取り料亭から運ばれた料理を食しながら、「ありがたいことだ。ヤクザのみなさんもたいへんですね」と、その高校教師は親分に感謝した。

 暴力団の力を利用し、その威光を使っている人間は次第に感覚がずれてくる。列の最前方に暴力という威嚇力を使って割り込んでいっても、それが自分のためなら暴力団を肯定する。

暴力団からのリーク

 暴力団との交流にはおのずと限界がある。取り込まれそうになったらきっぱり拒絶しなくてはならない。一番多いのは恐喝に絡んだ企業スキャンダルを書いてくれ、という要請だ。年に数回、小さなものから後々大問題となったものまで、もちろん、すべてスルーが基本である。