新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。

◇◇◇

ヤクザはなぜ取材に応じるのか

 それでも暴力団たちは、なぜ雑誌のインタビューに応じるのか?

ADVERTISEMENT

 理由の一つは彼らの虚栄心にある。暴力団は基本的にミーハーで、目立ちたがり屋なのだ。動画サイトのユーチューブを観ると、彼らの性質がよく分かる。そこには取材が御法度のはずの山口組をはじめとして、各組織のオリジナルビデオ映像がアップされている。こうした映像の多くは、組織が記念の行事の際、手弁当で作ったものだ。幹部や若い衆、関係者に配られ、本来、表には出ないが、回り回って流出したのだろう。雑誌の記事は基本的にこのノリと同質だ。彼らは自分たちを一種のヒーローと考えている。

「ヤクザってーのはよぅ、日陰者なんだ。道の端っこを歩くもんなんだ。それに俺はマスコミなんて嫌いだ」

©iStock.com

 その言葉を真に受け、迷惑を掛けてはいけないと二の足を踏んでいたら、その当人が他の雑誌に登場していたことは何度もあった。私はこうした暴力団に対する営業が得意ではない。基本的に暴力団が雑誌に登場していいことはない、と分かっているから、相手の立場を考えすぎてしまう。地団駄を踏んでも遅い。言葉の裏を読めなかった自分が悪い。その意味で暴力団社会はたいへん日本的である。

親分へのご褒美として機能するマスコミ

 いまでも初めての組織を取材すると、あちこちから「誰がこんな週刊誌を呼びやがったんだ。マスコミなんて追い出せ!」と罵られる。罵詈雑言の集中砲火は、取材を行うための通過儀礼と我慢するしかない。立場上、彼らはマスコミ歓迎とは言えない。

 加えて社会の裏側で暗闘を繰り返し、それなりの立場に上り詰めた親分や組長には、苦労の歴史がある。内部闘争を勝ち抜き、他団体との抗争をくぐり抜け、ときには破門となって辛酸をなめながら、幾多の困難を乗り越えていまの立場にのし上がったのだ。しかしその努力や忍耐は、一般社会で決して認められない。生死を懸けた闘争をくぐり抜けてきた誇りはそれぞれにある。

 雑誌の記事は、こうした親分たちのご褒美として機能する。名門一家を継承し、晴れてトップとなったさい、ビデオや写真を撮影する延長線上に、雑誌への登場が位置づけられる。普段はマスコミとの接触を好ましく思っていない執行部もこのときばかりは目をつぶってくれる。代目継承の際には必ず激しい内部闘争があり、時には殺人事件も起きるが、もちろんそれを書くことは出来ない。