文春オンライン

マスコミの取材とヤクザの本音。なぜ「暴力団の抗争」に迫るのは難しいのか

「潜入ルポ ヤクザの修羅場」#24

2020/08/16
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 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。

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「暴力」への興味

 暴力団専門ライターとして、関東や関西でパイプを作りあげ、編集者だった時代には分からなかった暴力団の実態が、はっきりみえてきた。暴力団社会のトリビア的知識の蓄積は、いつしか私の目的ではなくなった。食うためにはじめた仕事ではある。それを15年近くも継続できたのは、ひとえに暴力団に惹かれているからだ。

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 俗に言う裏社会とか、闇の世界というものは、つまり社会の実相である。暴力団を調べることは、日本という国の真実を知ることを意味する。最近でも選挙に落選した某政治家が、選挙資金を持ち逃げされたと暴力団に泣きつき、その回収を依頼していた。暴力団はそれ単体で悪として存在しているのではない。日本という国家の悪なのだ。

 なかでも私が興味を持ったのは、暴力という原始的かつ、最も実効性の高い手段だった。暴力論という高尚な話はさておき、ごく身近にある暴力団たちのそれは、人間社会の原型を知るには最適の題材ではないか。

 突きつめれば、暴力団の存在価値は人を殺してなんぼ、という部分にある。すべてはそれなくして語れない。利益のために他者を殺害し、それを英雄と祭り上げる人間たちと、直接話をしてみたい。私の興味は暴力に集中した。

殺人事件を検証することがライフワークだった

 そのため取材でも、抗争事件という組織的殺人を追い求めて東奔西走した。取材拒否となっても、しつこく追い回せばチャンスはある。暴力団員が殺される、という事件は珍しくない。大きく報道されないだけで、毎月、かなりの殺人事件が起きている。それをつぶさに検証し、証言を拾っていく。大げさにいえば、これが私のライフワークになっている。

©iStock.com

 ちなみに抗争にはきちんとした定義がある。組織と組織との暴力事件が起き、その報復として、やられた側が仕返しをしてはじめて抗争が成立する。昭和とは違い、今は100回事件が起きて1、2回しか抗争にならない。組織を挙げての本格的な抗争は、4年に1度あるかないかだ。

 なにしろ暴力団は、抗争抑止に躍起である。

 これ以上取り締まりが厳しくなってしまうと生きていけない――暴力団たちは切実にそう考えている。具体的には突発的事件が起きても話し合いによって解決できるよう、常日頃から食事会を開いて他団体と交流したり、同盟をつくっている。関東の主だった暴力団が参加して作られた関東二十日会では、拳銃を使っただけで、破門・絶縁となるよう決められた。暴力団にとっても一般市民にとっても歓迎すべきことだろうが、取材はしにくい。