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マスコミの取材とヤクザの本音。なぜ「暴力団の抗争」に迫るのは難しいのか

「潜入ルポ ヤクザの修羅場」#24

2020/08/16
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 中野会も、そして道仁会から分派した九州誠道会も、我々に対して自分たちの大義を主張した。あくまで和平を求める主張に限って掲載を行った。山口組も、そして道仁会も、報道を黙殺していた。マスコミ対応とすれば理想的だった。

ヤクザとマスコミの連携

 道仁会の分裂抗争は、しかし、これまで沈黙していた道仁会がマスコミに門戸を開いたことで急展開した。最初にアクセスがあったのはとある週刊誌だった。

「どうしましょう」

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「決まってる。行こうよ」

「誠道会側に怒られるんじゃ……」

「俺たちは部外者だもん、関係ない」

 ところが、道仁会はこれまで誠道会側の記事をまったく掲載していなかった媒体を選んだ。『実話時代』である。たとえば山一抗争の際は、どの雑誌も山口組と一和会の記事を載せていた。傍観者である雑誌は中立であり、どちらの側にも与しなくてすんだ。ところが、いまは時代が違う。お互いが暴力団雑誌を個別に選ぶ。殺し合っている相手が載っている雑誌など相手にしない……人間としては自然な感情だろう。道仁会側の思惑は分からないが、誠道会の対応はそれを見事に証明した。

「もし道仁会が取材を許可してくれたら行きます」

ヤクザの取材を続ける困難さ

 そう宣言した途端、誠道会の幹部から電話がかかってきて、「もう付き合いはできない」と宣言されたのだ。あっという間に距離が出来た。決定的だったのは、まったく別のルートから抗争を調べていたときで、幹部からやんわり「そういうことはしないでもらいたい」と釘を刺された。築き上げてきた取材ルートは崩壊寸前である。幸い、他の人間が出入りしているが、彼らだっていつまで接触を続けられるかは不透明だ。

©iStock.com

 今後も抗争事件を追いかけるつもりだが、本格的な抗争になったとき、暴力団側からそれを取材するのは困難であると思い知らされた。殺し合っている当事者同士にとって私のような存在はなによりカンに障る邪魔者だ。ともに生きてきた仲間が殺されているのに、好奇心だけを理由につきまとわれるのだから、迷惑千万に違いない。

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

鈴木 智彦

文藝春秋

2011年2月17日 発売

マスコミの取材とヤクザの本音。なぜ「暴力団の抗争」に迫るのは難しいのか

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