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「隠れていろ!」

 私は事務所机の裏にある物入れに姿をひそめた。いきなり掛け合いがはじまった。銃撃戦になったらどうしよう……とは考えなかった。いつなんどきガサ入れがあるか分からぬ暴力団事務所に拳銃があるはずがない。共犯になるかも、とも思わなかった。会話のすべてはICレコーダーに録音してある。

役者ばりの大立ち回りを見せつけてくるヤクザ

 聞き耳を立てていたら、相手の親分はこれまで私が腰掛けていた場所に座ったらしい。場面が見えないのになぜ分かったかといえば、親分が「客を下座に座らせるのか!」と、ブチ切れたからだ。

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 事務所の応接室は、親分の席だけ豪華な肘掛けが付いている。

©iStock.com

「間違いが起きちまって、わざわざ訪ねてきた相手に、なぜ同じ椅子を出さない! 俺はオヤジ(組織のトップ)の名代で来ている。俺を馬鹿にするのはいいが、オヤジをなめているなら許さねぇ!」

 完全な屁理屈だった。極めて理不尽な論理のすり替えだ。言い回しにも暴力団の劇場型気質が存分に発揮されていた。ヤクザとヤクシャは一字違いと言われるが、それなりの役者でなければ暴力団の幹部にはなれない。

ヒットマンの壮行会

 また、こんなこともあった。

「近くまで来てるんですが、顔出していいですか?」

 と、帰宅の途中にあった暴力団事務所に電話した時のことである。

「食事中なんで、後にしてくれるか?」

 電話がブチリと切られた。国道を流していると、その幹部の車や高級車が並んで停まっていた。トップとも顔見知りなので、驚かせようと思い、事務所への差し入れ用に酒屋でビールを1ケース買って店に入った。

 いつも顔を出しているので、ガードの若い衆たちは私が突然やってきたことを知らなかった。てっきり親分と話が付いていると思ったらしい。2階の個室に上がってみると、雰囲気が重苦しかった。中央には20代半ばの若い組員が座っていた。そこは相手組織を銃撃したヒットマンの壮行会だったのだ。

「お前、誰に呼ばれた?」

 言葉が出てこなかった。とてもふざけられる雰囲気ではない。笑えない。実際、誰も笑っていなかった。

「俺に決まってるだろう。早く席に着け!」

 助け船を出してくれたのは親分である。

 あとでこっぴどく𠮟られたが、結局許してもらった。けっこう前のことだが、おそらく警察とも話が付いていたのだろう。そうでなければ、こんな食事会は不可能だ。若い組員はその後出頭し、おそらく50歳代の半ば過ぎまで刑務所務めとなった。いまも思い出すと冷や汗が出る。