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マスコミの取材とヤクザの本音。なぜ「暴力団の抗争」に迫るのは難しいのか

「潜入ルポ ヤクザの修羅場」#24

2020/08/16
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ヤクザの車から見える景色は歪んで見える

 抗争途中の親分(その時は破門となっていた)の車に同乗し、相手の組織の車とカーチェイスになったこともある。そのとき乗っていたセルシオは防弾車に改造されていた。ドアの内部には鉄板が入っており、ガラスには全面、分厚い特殊なアクリル板が張ってある。

「オヤジ、来てますね」

「ああ」

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 振り返って見ると、アクリル板のせいで風景が歪んでいる。防弾ガラスは風景を歪ませる。長時間風景を観ていると、車酔いするのだ。

©iStock.com

 山口組のトップである司忍組長が、ボディガードの所持していた拳銃によって共犯とされてから、ガード役の若い衆は丸腰が定番となった。襲撃してくるのだから相手は道具を持っているはずだった。この時ばかりは焦った。バッグからカメラを取り出すのが精一杯だった。

「なにしてる?」

「私は部外者だし、マスコミですし、なにかあったら写真撮ります。で、逃げます」

 冗談でそう言ったものの、半分は本気だった。10分くらい高速道路を走った後、相手のクラウンは、こちらの車を勢いよく追い越し、消えてしまった。

「こいつ、俺が殺されたら写真撮るつもりだったらしいぜ」

 さんざんイヤミを言われたが、それ以上の追及はなかった。この親分が、その後、本当に殺されてしまったからだ。

雑誌による代理戦争

 その意味で山口組vs.中野会の抗争と、道仁会の分裂抗争は待ちに待った機会だった。あちこち駆け回ったが、今度は情報操作に振り回された。前述したように大義が弱い側がマスコミとの接触を許可してくれる。両論併記にしたいのだが、相手はマスコミをシャットアウトする。

 また、本格的な抗争では、肝心要の部分が見えない。たとえば儀式のときも、別の場所を教えられ、当日、正しい会場に誘導される。表面上、友好的であっても、腹の探り合いが続いた。また執筆する記者も、その時々で変えなければならない。色が付くからだ。我々は片側の味方ではない。暴力団の大義も関係ない。抗争はすべて悪だ。殺し合いをはじめた時点でどっちも許されざる存在だ。