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 だから、そんな彼らを“わたくし”のためにばかり生きているように見える政治家なんぞの命令で行かせたくないと思った。そして、彼らに「天皇陛下の御裁可(ごさいか)が降りたぞ」と言ってやりたくなった。どうしてなのだろう。“わたくし”を捨て、不断の努力で自らを律していることが誰の目にも明らかだからなのか。そもそも、なぜ「御裁可」という単語を自分が知っていたのかすらわからない。

 そしてもう一つ。私は美しい表情の彼らに見とれながら、実は、「向いていない」とも思ったのである。

 これは間違った命令だ。向いている者は他にいる。彼らは自分の死を受け入れるだけで精一杯で、任務をどうやって達成するかにまで考えが及んでいない。世の中には、「死ぬのはしょうがないとして、いかに任務を達成するかを考えよう」という連中がいる。私は知っている。この任務は、そういう特別な人生観の持ち主を選抜し、実施すべきものなのだ。

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「お世話になりました。行ってまいります」

 立入検査隊員たちは出撃のために歩み始めた。その中に先ほどの私の部下もおり、彼は私の前で立ち止まり挙手の敬礼をしてきた。

「航海長、お世話になりました。行ってまいります」

 30分後に、彼の命はない。私は何も言えず、挙手で答礼するのが精一杯だった。

伊藤祐靖氏 ©新潮社

 彼はふっきれたような表情で前を向き、再び歩み始めたが、5、6歩進んだところで急に振り向いた。

「航海長、あとはよろしくお願いします」

 彼らが出撃しようとしたまさにその瞬間、工作母船は突然動き出した。

 そろりそろりと動き出したかと思うと急加速し、再びフルスピードで北へ向けて進み出した。「みょうこう」も急加速し追走した。

全滅することが確実な作戦だった

 その後、日本政府は追跡を断念、作戦中止命令が出された。結果、立入検査隊は出撃できなかった。だから今も彼らは全員生きている。しかし、彼の「あとはよろしくお願いします」という言葉は、私の中で今でも非常に大きな存在感を持っている。

 私は、任務が絶対に達成できないことも立入検査隊員が全員死亡することもわかっていた。世の中に「絶対」ということはそんなにないし、国家の意志を具現化するための軍事作戦において不可能と軽々しく口にすべきではない。だが、拳銃を触ったこともない者が、夜間、自爆装置がセットされている北朝鮮の工作母船に乗りこんで、北朝鮮の工作員と銃撃戦の末に日本人を救出してくることは絶対に不可能で、彼らが全滅することも確実だった。