それは、私が「みょうこう」航海長で、教育訓練係士官として乗組員の練度をよくわかっていたからではなく、海上自衛隊の艦艇乗りなら誰でも知っていたことである。
ということは、「立入検査を実施させる」という政治決定がなされる時に、現職の海上自衛官に任務達成の見積もりと生還の可能性を確認せずに決定がなされるはずがないので、現状を知っていながら可能だと言った海上自衛官がいるか、不可能という現状を理解したうえで実施させるという政治決断がなされたのか、そのどちらかなのである――。
あの日、私は何をすべきだったのか?
この事件をきっかけに、海上警備行動時における不審船の武装解除及び無力化を主任務とした、全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設が決定した。私はその創設準備段階から携わり、創設後は現場指揮官を務めた。
あの日、下された命令が間違っていた、あるいは取り消すように動くべきだったということではない。しかし、いったいなぜ任務を達成できず、全滅するとわかっているのに彼らを行かすと決めたのか。なぜそれをする必要があるのか、誰がそれを決断したのか。
「これが国家の理念であり、この命令はそれを通すための国家の意思だ。だから我々は行く意義がある、行ってこい」と、私自身が上に確認してから、彼らに伝えるべきだった。そんな当たり前のことをせずに命令に愚直に従おう、従わせようとしてしまったのだ。これは、私が一生恥じていかなければならないことだと考えている。
あの場にいた一人として、現場の自衛隊員の感情、気持ちを伝え、決断を下し命令する政治家、国には覚悟を問いたい。そのつもりで書いたのが、『邦人奪還:自衛隊特殊部隊が動くとき』だ。過去に執筆した自叙伝では、常に守秘義務の制約があり、核心に迫る内容を書けないことも多かった。
今回、その壁を越えるために取ったのが、ドキュメント・ノベルという手法だ。元自衛官の私には、フィクションだからこそ訴えられることがある。ストーリーはそのためのフィクションで、ほとんどのエピソードは、私の実体験をもとに書いている。
※本稿は伊藤祐靖『自衛隊失格』を元に再構成しています。