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2020/08/22

「もう死んでください」に言い返した65歳のころ(2010~11年)

 2008年よりNHKで『ブラタモリ』が単発番組として始まった。翌年にはレギュラー化され、途中何度か中断を挟みながら放送が続いている。開始当初はまだ『いいとも!』が続いていたので、ロケ地は東京近郊に限られたが、タモリが行く先々で傾ける地理や歴史の薀蓄は、多くの視聴者の関心を惹くことになる。彼が65歳となっていた2011年3月には、地理学的視点を一般に広めたとの評価から、『ブラタモリ』番組制作チームに対して日本地理学会賞(2010年度・団体貢献部門)が授与された。

 このころには、タモリが下の世代から憧れや尊敬の念を込めて語られることも珍しくなくなっていたが、彼自身が雑誌の取材に応えることはめっきり減った。それだけに2009年、63歳のときに『週刊文春』の対談ページ「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場したことは貴重だ。そこではタモリが、ナインティナインの岡村隆史から最近、「もう死んでください。あとがつかえてます」と言われたのに対し、《「俺はお前らのフタとなってやる」って。「俺は今六十三だぞ。でも唄とか踊りとか三味線とかだと、九十いくつの人間国宝の師匠が八十歳の弟子を教えてんだぞ。六十三歳なんて孫弟子みたいなもんだ」って》言い返したというエピソードなどが披露されていた(※8)。

2009年 ©文藝春秋

『いいとも!』は70歳になる前年、2014年3月、開始以来31年半をもって終了する。これを境に『ブラタモリ』はフィールドを全国へと広げた。『ブラタモリ』も『タモリ倶楽部』も現在まで続いているが、目下、新型コロナウイルス感染拡大の影響からロケの中断を余儀なくされている。それでも後者は、しばらく総集編でしのいだあと、6月26日(関東地区)の放送分より「タモリ電車クラブ」の面々がリモートで集まって収録を再開した。その冒頭、タモリは「ここまでしてやんなきゃいけない番組かね」と発言し、あいかわらずの肩の力の抜けっぷりで笑いを誘った。なお、このときの企画「ストリートビューでオンライン撮り鉄!偶然鉄道フォトコンテスト」は2週にわたって放送され、2020年7月度のギャラクシー賞月間賞(放送批評懇談会が選定)を受賞している。

 建築にも造詣が深いタモリは最近、竣工まもない新国立競技場を設計者の隈研吾の案内で見学している。このときも彼は、初っ端から《そういえばこの千駄ヶ谷一帯は明治に入って、徳川のお屋敷だったんですよね》、《いまでも確か電柱に「徳川支」とか書いてありますよ》などと知識を披露して、隈を感心させている(※9)。さらにこのあとには、タモリの知られざるエピソードもあいついで飛び出した。たとえば、20代のころ友人の経営する建築会社に遊びに行った際に、現場で左官屋に言われてセメントをだいたいの勘でつくってみせたところ、よくできていると褒められたうえ、「初めてつくった」と言うと左官屋からスカウトされたという。

 40年前、35歳だったタモリは若い女性向け雑誌『non・no』で密着取材を受けたことがあった。そこでタモリは、過去の事件の詳細を驚くほど覚えていたり、その知識の豊富さで記者を圧倒したかと思うと、《教養なんていうのは、あるにこしたことはないんですよ。なんであるかっていうと、遊べるんですよ。あればあるほど、遊ぶ材料になるんです、教養っていうのは》(※10)とうそぶいてみせた。この言葉は、現在にいたるまで彼のモットーとして貫かれているに違いない。

2014年。この年『笑っていいとも!』が31年半で終了 ©文藝春秋

※1 山藤章二との対談『「笑い」の解体』(講談社文庫、1991年)
※2 近藤正高『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書、2015年)
※3 『婦人公論』1981年4月号
※4 『ザテレビジョン』1990年7月13日号
※5 『アサヒ芸能』1990年8月9日号
※6 『FLASH』2000年11月21日号
※7 『週刊ポスト』2001年8月31日号
※8 『週刊文春』2009年4月2日号
※9 『波』2020年4月号
※10 『non・no』1980年9月20日号

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