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タモリ75歳に 「もう死んでください。あとがつかえてます」ナイナイ岡村の“冗談”にどう反論した?

2020/08/22
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 終戦の1週間後、1945年8月22日に生まれたタモリは、きょう75歳の誕生日を迎えた。1975年に30歳で芸能界にデビューしてからも、今年は45年の節目である。ここでは彼の足跡を35歳から10年おきに振り返ってみたい。

8月22日に75歳の誕生日を迎えたタモリ(写真は1983年撮影) ©文藝春秋

『いいとも!』のきっかけを作った35歳(1980~81年)

 タモリは35歳になる前年、1979年には自分の能力の限界を超えるほど多忙をきわめ、《スケジュールを見せられるとね、十二月なんか、これでオレは生きて年を越せるんだろうかって(笑)》思うほどだったという(※1)。このときにはすでに多くのレギュラー番組も抱えていた。デビュー2年目の1976年から続くラジオの深夜番組『タモリのオールナイトニッポン』で、名古屋やさだまさしなど各方面に舌鋒を鋭く向けながら、テレビでは1979年4月より始まったNHKの『ばらえてい テレビファソラシド』に出演し、幅広い層から人気を集めるようになっていた。

 35歳になってからは1980年10月に、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の日曜昼の番組『タモリの突撃ナマ放送』およびニッポン放送の平日夕方の番組『だんとつタモリ おもしろ大放送!』と、テレビとラジオで生番組が始まっている。このうち『タモリの突撃ナマ放送』は9ヵ月で終了したが、2年後の1982年4月に始まる『笑っていいとも!』と同様、東京・新宿のスタジオアルタからの放送だった。一方、『だんとつタモリ おもしろ大放送!』はタモリとリスナーの主婦たちとの電話でのやりとりが目玉だった。そこではセックスに関するきわどい話になることがほとんどで、回を追うごとにエスカレートしていく。しかしタモリは「そこまで言わなくていいよ」などとなだめすかし、見事にさばいてみせた。その主婦あしらいに、フジテレビのプロデューサー・横澤彪が目をつける。横澤が『笑っていいとも!』にタモリを起用する下地はこのとき用意されたといえる(※2)。

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「笑っていいとも!」は1982年10月に開始された(写真は1983年撮影) ©文藝春秋

「オレが6年もひとつのこと続けたことないもの」

 さらに半年後、1981年4月からは日本テレビ系で土曜夜に『今夜は最高!』が始まる。タモリをホスト役に、毎回多彩なゲストを迎え、トークやコントを繰り広げた同番組は、大人の視聴に耐えうるバラエティとして1989年まで続いた。そこで着用した黒いタキシードに象徴されるように、ソフィスティケーションされたタモリのイメージを定着させたという意味でも、『今夜は最高!』は彼にとって大きな意味を持つ。1981年にはこのほか、すでに36歳となっていた10月から情報バラエティともいうべき『夕刊タモリ こちらデス』でキャスターに挑戦したり、国鉄(現・JR)の新幹線や朝日新聞、民放連とちょっと固めの企業・団体のCMに出演したりと、デビュー当初の“密室芸人”のイメージをすっかり拭い去った。こうしたイメージチェンジの成功も、『笑っていいとも!』への布石となっていることは間違いない。