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2020/08/29

genre : ニュース, 社会

 6代目体制がスタートすると、山口組ナンバー2である若頭に高山清司が就き、組長の司と共に「弘道会」出身者がツートップを独占する異例の体制となった。さらに直参組長らへの統制を強めた中央集権的な運営を推し進め、経済面では上納金と呼ばれる毎月約100万円とされる会費の徴収のほか、司の誕生日、盆暮れなどにもカネの徴収がなされた。ミネラルウオーターなど生活用品が直参組織に送り付けられて半ば押し売りのような販売もされた。

6代目山口組の高山清司若頭 ©️共同通信社

「人事」と「カネ」の双方の締め付けが厳しくなった結果、次第に直参の間に不満が鬱積。内部では各方面から不穏な噂が飛び交っていたと、前出の山口組系幹部は打ち明ける。

「2015年8月に分裂となる前から『出ていく直参がいるのではないか』という話はあった。『クーデターが起きる』『いやそれは絶対にない』とか、そういった噂の類いだった。だから本当に起こるとは思わなかった。やはり『山菱の代紋』の存在は大きいからだ」

 さらに分裂前夜にあったエピソードについて明かす。

「分裂の騒ぎが起きる直前のある夜に、多くの直参団体の幹部たちが集まる飲み会があった。席には、山健、宅見の幹部もいた。各組の仲が良かった人たちで楽しくやっていた。しかし、宴席の途中で、急にあちらこちらで幹部たちの携帯電話が鳴りだした。何人かの幹部は、一様に携帯電話を手にして、『ちょっと失礼します』『少しだけ外します』と言って会場を出て、何やら話し込んでいた」

 数日後、携帯電話が一斉に鳴り出した理由が明らかになる。

「席を外したのは山健など離脱して神戸(山口組)に参加した直参の下にいた幹部たちだった。この時に離脱することが決まり、宴席に出席していた幹部たちに次々と連絡が入ったのだろう。今となって振り返ると合点が行く。自分は当日まで分からなかった。やはりクーデターのような話は決行する日の前に情報が洩れているようではダメ。出て行った方(神戸山口組)も、あの時点では上手くやったのではないか」