いまから5年前の2015年8月27日、山口組は分裂した。なぜこのタイミングで分裂したのか。長年にわたり暴力団業界をウオッチし続けてきた、ある警察当局の組織対策部幹部は、次のように指摘する。
「高山の社会不在が最も大きかったのではないか。権力者不在の隙を突いた行動だった」
高山とは、山口組ナンバー2、若頭の高山清司のことだ。6代目組長に司忍が就任して以降、高山が山口組内を実質的に取り仕切っていたことが知られていたが、分裂当時は恐喝事件で刑務所に服役しており社会不在の状態だったのだ。(全3回の最終回/#1、#2へ)
高山不在が大きな動機なのか
前出の組織対策部幹部が高山の人物像について語る。
「高山は司とともに弘道会で活動し、暴力団業界の群雄が割拠していた名古屋を中心とした中京地区に山口組を根付かせた。いわゆる『武闘派』として知られていた。それだけでなく、中部国際空港の建設工事に介入し、砂利やセメントなどの利権を確保してシノギ(資金源)を獲得した『経済ヤクザ』としても知られていた」
中部国際空港建設をめぐっては、「集めたシノギは1000億円以上と聞いたことがある」(指定暴力団幹部)とも言われ、山口組の外部では対立抗争事件で敵対する暴力団を攻め立てるだけでなく、山口組内では資金が不足した直参と呼ばれる直系組長らにカネを融通することで、弘道会側に引き寄せる与党形成にも余念がなく、「知力と武力を兼ね備えた男」(警察庁幹部)として広く知られた存在だ。
5代目体制当時は、若頭補佐の一人に過ぎなかった司が6代目の座に就くのにも、高山は貢献したという。
「司を6代目組長に押し上げるにあたって様々な知恵を絞って、それを実践していたのは高山だったと見ている。その高山は、自分が不在の間に親分の顔に泥を塗って出て行った神戸山口組に対しての憤懣は収まりがつかないだろう」(前出・警察庁幹部)
「あの男まで離脱するとは…」
司が山口組の6代目組長に就任したのは2005年8月だった。しかし、司は同年11月、銃刀法違反事件で服役することになる。司が社会不在の間、高山が実質的に山口組の運営を行うこととなったのだ。
その間に高山は5代目時代からの古参の直参を事実上追放したほか、会費と呼ばれる上納金ほかのカネの徴収など強権的な運営をして、内部での不満が鬱積していた。山口組系幹部が明かす。