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「出て行った神戸山口組の者のうち、山口組内のブランドと呼ばれた山健組(組長)の井上(邦雄・神戸山口組組長)はリーダー格として、旗を持っている象徴的な存在。だが、実際に絵を描いたのは、一緒に離脱した入江と正木だと思う。入江は知恵者だし、正木は法律など様々なことに詳しく弁もたつ」

神戸山口組の井上邦雄組長(中央) ©️時事通信社

 入江とは2代目宅見組組長の入江禎(ただし)を指す。6代目山口組体制発足と同時に「総本部長」のポジションを任され、最高幹部として事実上のナンバー3の地位を占めていた。正木組組長の正木年男は6代目体制では若頭補佐や総本家室長などを歴任し、やはり最高幹部の一角を占める存在だった。

 前出の警察当局の組織対策部幹部は「入江が離脱したことを聞いた時は驚いた」と当時の感想を漏らす。

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 5代目体制時の1997年8月、組内の対立から山口組若頭だった宅見勝が射殺されたため、入江は宅見組を継承し2代目宅見組組長を名乗ることとなった経緯がある。組織対策部幹部が当時の内部事情を解説する。

「宅見勝射殺事件の後に山口組は長い間にわたり混乱していた。そうした状況のなかで、宅見組内での2代目組長候補のうち入江が後を継ぐことが出来たのは、司と高山がバックアップしたことも大きかったと言われている。だから、その入江が離脱するとは思わなかった。神戸山口組内では、組織としては山健組が最も規模が大きく武闘派的な役割だが、それに対して入江は参謀というような立場。双方の思惑が一致したというか、そういった合意のようなものがあったのではないか」

「山菱の代紋」が持っている意味

 2015年8月の分裂から5年経っても、6代目山口組と神戸山口組の双方ともに「山口組」を名乗り、「山菱の代紋」を掲げている。これは自らこそ正統な山口組を継承している組織だということを主張しているためだ。

 長年、暴力団対策に携わってきた警察当局の幹部たちは、「『山菱の代紋』を捨てた方が敗れた山一抗争の教訓だろう」と指摘する。