6代目山口組が分裂してから8月27日で5年となった。その間、6代目山口組と神戸山口組の間で対立抗争が続き、これまで拳銃発砲や繁華街での乱闘、事務所へのトラックでの突入など120件以上の事件が発生し、9人が死亡している。
この5年間、6代目山口組と神戸山口組、そして警察では、どんな暗闘が繰り広げられてきたのか。本稿ではまず分裂前夜からの動きから抗争の原点を探る。(全3回の1回目/#2、#3へ)
山口組「創立100年」の裏で
分裂騒動が起きた2015年は、山口組にとって創立100周年となる節目の年だった。
年始早々の1月25日、神戸市内の山口組総本部で創立100周年を記念する行事が開かれお祝いムードに包まれていた。6代目組長の司忍をはじめとした山口組の最高幹部らが出席しただけでなく、稲川会(東京)や松葉会(同)、会津小鉄会(京都)、共政会(広島)などの12の友好組織の代表者らが全国から出席していた。
山口組最高幹部からの挨拶の後、友好組織から祝辞が述べられると大きな拍手に包まれた。この日は司の73歳の誕生日でもあり、祝宴はさらに盛り上がりを見せていた。
しかし、7カ月後に山口組が分裂するという事態を招くことになろうとは、この宴席の出席者の多くは知る由もなかっただろう。
不満が鬱積した「人事」と「カネ」
山口組は1915(大正4)年に初代の山口春吉によって神戸市で結成された。当初は神戸の地方組織だったが、3代目組長に田岡一雄が就任すると全国各地に進出。国内最大の暴力団へと組織を巨大化させた。司が6代目を継承したのは、2005年8月だった。
5代目から6代目へと移行した時期の状況について、山口組系幹部が振り返る。
「5代目の時は良くも悪くもいい加減だった。直参としては、それぞれが山口組の『山菱の代紋』を使ってシノギ(資金獲得活動)が成り立っていればそれでよかった。しかし、6代目になってからは、直参に対してカネがかかることを求め始めた。当時、一部の直参の間ではカネに関する負担が大きいと不満があったことは確かだ」