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〈僕は消えたい〉と書かれた手紙に「あれがSOSですか?」

 1週間後の9月19日、自室で首吊り自殺を試みる。意識不明になっているのを家族が発見する。学校にも連絡した。自宅を訪ねてきた校長に母親は「SOSに気がつかなかったのですか?」と聞いた。校長は「あれ(手紙)がSOSですか?」と言った。のちに母親が開示請求したところによると、市教委は、この段階では「いじめ防止対策推進法による重大事態ではなく、校内の重大事案として対応している」として、同法の義務としての市長への報告はしていない。この後、学校、先生、大人への不信感から、辰乃輔さんは不登校となった。

 9月26日から28日、学校側は、アンケート調査をした。しかし、辰乃輔さんのいじめや自殺に関する調査だという明確な質問項目はない。しかも、調査対象が、手紙で名前の上がった生徒たちに限られた。「いじめがない」という調査結果は、11月になって知らされた。この点も母親がのちに開示請求をしたが、「文書として存在しない」とあった。

仏壇の花の「青」は、辰乃輔さんが好きだった「海」をイメージしている ©渋井哲也

「教頭先生に資料を欲しいと言ったのですが、ないとのことでした。聞き取り調査もしたようですが、用紙がないのはおかしい」

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 9月28日、学校の対応に満足しない母親は、地域の保健センターに相談をした。学校のいじめ対応について事情を説明し、以後、ときどき相談している。

〈学校の先生たちもいじめられている事をしんじてくれない〉

 この頃、辰乃輔さんは家出をした。離別した父親にいじめのことを聞いてもらおうと、探しに出かけたのだ。ノートには、「弟の誕生日が近いため、どうしても弟に父さんと会わせてあげたい」との思いから、こう書かれていた。

〈父さんをさがしてきます。父さんに学校の事話したい(中略)…学校の先生たちもぼくがバカで学校に行ってないから、いじめられている事をしんじてくれない〉

 母親は警察に捜索願を出し、学校側も複数の教員で捜索をした。このとき、辰乃輔さんは児童相談所に一時保護された。

©iStock.com

「離婚して半年以上が経ったころでした。思春期でもあり、私は聞けない部分がありました。そのことを父親に聞いてもらいたいと思っていたんでしょう。ただ、踏ん切りがついたのか、ノートに父親のことが書かれることがなくなっていきました」

 10月19日、辰乃輔さんは担任に手紙を送った。実はこの日は誕生日だった。

〈きょうは、ぼくのたん生日。なにかいいことあるかな。学校は、いじめがないって言ってるけど、いじめられていたぼくはなんだろう。きょうとう先生からもれんらくない。だれも先生は、こない、ぼくは、学校でじゃまで早くてん校してほしいだと思う〉