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〈学校にいじめられてた事を死んでわかってもらいたい〉

 いじめの事実を認めてもらえず、学校に言ってもその苦しさを理解してもらえない。そして、10月26日の夜、再度、自殺を試みる。自室で首吊りをした。母親が発見し、救急搬送された。このとき、学校に当てた手紙にはこう書いていた。

〈先生たちじゃまなぼくは消えます。学校にいじめられてた事を死んでわかってもらいたい。口で言わないといじめにしてくれない。紙に書けるなら口で言えると言ったきょうとう先生。うまく口じゃつたえられないから手紙なんです。校長先生は、何もしてくれませんでした〉(10月26日)

©渋井哲也

 自殺未遂後、警察が市教委に連絡し、市教委が学校に連絡をした。学校はその連絡で把握した。学校側の記録によると、その後、担任や部活顧問が家庭訪問を繰り返した。

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〈だれか、ぼくをころして〉

 正月明けの2017年1月は学校へ通った。しかし、学校への不信感は消えていない。

〈がんばって学校の門まで行った。やっぱり消えたほうがいいと思った〉(1月17日)

 1月20日にはクラスで絵馬を飾ることになり、「いじめがはやく解決しますように」と願い事を書いた。しかし、担任から「それは飾れない」と言われた。「やっぱり、いじめを解決してくれないんだ」と思い、再び、学校へ行かなくなった。

〈エマをかえされた。いじめがウソだと学校は思っているんだと思う〉(1月20日)

 1月25日には〈消えたい〉と一言。27日には、同じ言葉をノートに25回繰り返した後、〈だれか、ぼくをころして〉と書いている。その後も、〈消えたい〉などと繰り返し、3月18日には、〈消えたい〉という言葉を38回書き、〈早く死にたい〉とペンを走らせた。それだけ、消滅願望が強まっていた。

©iStock.com

 2月になって、母親が、辰乃輔さんを心配している保健センターの保健師に電話している。「学校が、いじめがあったことを認めてくれない。学校は何もしていない」などと会話している。3月2日、校長と保健センターの保健師、担任と母親が面談した。辰乃輔さん本人は「転校するための面談なら行かない」と欠席したものの、顧問や教頭に対する不信があることが伝えられた。

 3月13日、開示資料には「形だけの謝罪はいらない」と記されているが、拒んでいるのは、学校側の記録では「母」で、保健センターの記録では「本人」となっている。学校で事件が起きると、記録が重要になってくるが、同じ市の機関で齟齬がある。母親によると「私はこんなことを言っていない。私のせいにしたいのではないか」と言っている。