藤枝静男は、どんな作家とも似ていない天才作家である。せっかく人に生まれて日本語が読めるのに、藤枝静男の『空気頭』も『田紳有楽』も読まずに死ぬのは人生の損失である。と私はひそかに思ってきた。
『空気頭』は〈私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う〉なんて調子の、けったいな私小説。『田紳有楽』は〈私は池の底に住む一個の志野筒形グイ呑みである〉ってな具合に池の中の茶碗や小動物が自ら語りだすウルトラスーパー私小説である。
その藤枝静男を笙野頼子は「師匠」と呼ぶ。知らなかった、笙野頼子が藤枝静男に私淑していたなんて。文壇界隈の人には周知の事実だったのだろうか。
しかし全然不思議ではない。藤枝静男のDNAは笙野頼子と円城塔の中に生きているとだいぶ前に書評で書いたこともある。思いつきで書いたのだ。思いつきは的中した。何の手柄にも自慢にもならないけど。
〈今から、ある天才の引用をちりばめた小説を書く。私はまず畏怖とともにひとりの最も尊敬すべき作家の引用をし、さらにその引用文を使って彼の文にすがって、自分なりの小説を書いてみようと思う〉
これが『会いに行って』の書きだしである。笙野頼子のデビュー作『極楽』を激賞したのが藤枝で、彼女にとって藤枝は〈昔、三十八年前、彼は私を作家にしてくれた〉人物である。だから私小説ならぬ師匠説。
〈『田紳有楽』は「身辺雑記」なのだ。でも、要するに、そのままではけして、世間は通らない、彼、結局生涯しっかりと人類のふりをし続けていました。というわけで本業は医師だったのだ〉と書かれているように、藤枝は眼科医だった。28歳から62歳まで医師として働き、夫人の父の病院を託されて1日400人の患者を治療した。
そんな伝記的事実もまじえつつ、しかしテキストはときに藤枝作品の細部に分け入り、ときに生前の交友録をひもとき、ときには笙野自身の叫びにも似た生活実感を混入させながら進むのである。評伝でも批評でも身辺雑記でもなく、しかしその全部でもあるような鬼気迫るテイスト。
〈師匠、師匠、師匠、今、二〇一九年です、九月十六日です、時刻は夜です、台風通過後ですがそろそろまた大雨です〉。千葉県在住の著者を襲った台風。〈この災害の中で文学に、ことに被災地の難病の「老婆(老婆なのか?)」のやっている文学に何が出来るのであろう?〉と自問しつつ、しかし彼女は言い切るのだ。〈ふん! 当然出来るともさっ!〉
笙野頼子は文学に対して真摯な人だが、文学の中に閉じこもる人ではない。その作家が社会と資料の両方を睨んで、生前に会ったのは一度だけという文学上の師匠と向き合う。私小説の力を再認識させる、彼女にしか書けない快作である。
しょうのよりこ/1956年三重県生まれ。立命館大学法学部卒業。81年「極楽」で群像新人文学賞、94年「タイムスリップ・コンビナート」で芥川賞、2014年『未闘病記』で野間文芸賞。
さいとうみなこ/1956年生まれ。文芸評論家。2002年『文章読本さん江』で第1回小林秀雄賞。『日本の同時代小説』他著書多数。