1975年作品(94分)/東映/2800円(税抜)/レンタルあり

 渡哲也が亡くなった。思い入れのある役者で、本連載でも何度も取り上げてきた。そこで、追悼の想いを込め、しばらくは渡主演作について述べていきたい。

 今回は『仁義の墓場』。連載の第2回で取り上げた、大好きな作品である。

 舞台となるのは、戦後すぐの東京。主人公の石川力夫(渡)は新宿を縄張りとする河田組の組員で、若い頃から暴力に明け暮れる日々を送っていた。だが、焼け跡の荒廃から日本が復興し、かつて共に暴れていた仲間たちも一家を構えるなど落ち着いていく。暴力でしか生きることのできない石川はそうした状況に全く馴染めず、たった一人で世間に牙をむき続けた。

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 暴れるだけ暴れ、周囲の人間を地獄に叩き落していく。そこには、いかなる道理も正義もない。そうとしか生きられない。ただそれだけなのだ。

 壮絶。そんな石川力夫を演じる渡哲也は、その一言に尽きる。その姿はまるで死神だ。

 序盤はあまり際立ってはいない。彼以外も荒々しいからだ。この段階ではあくまで、暴力的で思慮の足りないチンピラでしかない。それが、中盤になると、場面のことごとくが衝撃的になっていく。

 制裁を加えてくる親分(ハナ肇)に斬りかかる時は、まだ葛藤が見え隠れしたが、ここから一気に加速がかかる。

 まず、逃亡先の釜ケ崎で売春婦(芹明香)とともに覚せい剤に溺れる場面。ここで渡の見せる退廃感は、深作欣二監督があえてここをセピア色で撮った効果もあいまって、地獄の蓋が開いてしまった合図かのように映っていた。

 そして終盤は、もう止まらない。今は親分になったかつての仲間(梅宮辰夫)を二度にわたる銃撃で射殺。アパートに立て籠り警察と銃撃戦。そして、逮捕されて出所すると、病身で伏せる妻(多岐川裕美)をしり目に麻薬を打ち陶酔の表情をする。蒼ざめて遠くをぼんやり見つめるその顔は完全に常軌を大きく逸脱、落ちるところまで落ちた人間の、最果ての狂気を見せた。

 圧巻は、自殺した妻の遺骨をもってかつての親分を訪ねる場面。ここで石川はその遺骨をいきなりかじり始めるのだが、この時の渡は完全に「イッている」という目をしており、それがとても演技には見えない。何か悪霊でも憑依したかのような、この世のものならざる妖気すら放っていた。

 渡哲也がどんな思いで本作に臨み、いかにしてこの強烈な演技を創り出していったのか。それを本人に直接うかがう機会は、もうない。

 それでも、作品は残る。演技者としての渡の凄味に最も触れられる作品なので、この機会にぜひご覧いただきたい。

日本の戦争映画 (文春新書 1272)

春日 太一

文藝春秋

2020年7月20日 発売