フィクション作品でえがかれる「忍び」といえば、「多彩な忍術で敵を欺き、夜闇に紛れて標的を討つ、隠密行動のプロ」といったキャラクターに仕上げられることが多い。しかし実際には犯罪者や流れ者といった「悪党」が、罪を赦される代わりに大名に仕えたケースも珍しくなかったようだ。

 戦国大名の武田氏に関する書籍を多数著す平山優氏の新著『戦国の忍び』(角川新書)より、「忍び」がどのように諸大名に雇用されていたかを見る。

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忍びを雇うには

 戦国大名や国衆らは、透波、乱波らをどのようにして支配下に収めていったのであろうか。前記の『軍鑑』によると、武田信玄は、信濃の透波を雇い、妻子を人質に取って活動させたという。忍びの募集、雇用の様々なあり方を検討してみよう。

 結城政勝が制定した『結城氏新法度』第九十八条は、次のように記す。

 一、当方の下人・侍・里の者迄、外よりひき候とて、ねらい夜盗・朝がけ・草・荷留・人の迎い、何にても無披露に出候もの候はゞ、速かに削るべく候、よくよく可被申付候(*一部編集注)

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 この規定によれば、結城方の下人、侍、村の者が、他領から勧誘されて、これに応じ、誘われたからということで、「ねらい」(狙い討ちか)、夜盗、朝懸け、草、荷留(路次封鎖)、人の出迎えなどを目的に、領外に出て活動することが横行していた。他領とは、結城氏の敵の領地であろうが、結城の許可を得ずにこのような行動を取る者がいたら、理由の如何を問わず、改易、所領没収とするとされている。このことから、夜盗、草、朝懸けなど、およそ忍びの任務とされる活動を、結城家中の侍、下人ばかりか、村の住人までもが行っていたことがわかる。忍びの供給源の一つが、村の百姓だったことは確実であろう。

悪党を匿う者もまた悪党

 ところで、戦国大名は、盗賊・火賊・殺害などの事件が発生すると、犯人は村町に潜んでいると考え、悪党の所在を報告するように繰り返し指示したことは、既述の通りである。実際に、村町には、悪党を匿う人々が少なくなかったらしい。

 そこで、『結城氏新法度』第三十七条、第四十八条を紹介しよう。

 一、人をあやまり候歟、又悪党など切り果され候て、各之所へ飛入子細あるべく候、押入うち[  ]と思候者、速かに内より致成敗、其頸渡すべく候、飛入候とて引汲のもの、誰成共並べて改易たるべく候(第三十七条)

 一、於此方、悪党又人あやまりたるもの、[  ]にちかひたるもの、此方へ隠し内通、結句此方の目を忍び、各以心得立ち廻らさせ、又里其外に以心得隠し置き候、聞付候者、日本大小神祇、御指南の方誰人なりとも、物のためしには、七尺と申候、九尺一丈削り可申候、其時又誰なりとも、傍より侘言めされ候はゞ、並べ削り可仕候、此義前長に申置き候(第四十八条)

 第三十七条では、殺人を犯した者や、悪党どうしの殺し合いの結果、相手を斬殺した者などが、自分の家に逃げ込んできたら、主人は速やかに成敗し、その首級を結城氏に引き渡さねばならないとある。注意すべきは、末尾に、自分のところに飛び込んできたからと言って、それを匿ったら誰であろうと改易すると述べていることである。