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戦略に組み込まれる忍び

 扶持は、当座の分を与えることとし、さらに功績があれば、北条氏にも報告し、上田憲定からもそれなりの褒美を約束しよう。もし、このまま上田氏に奉公を継続したければ、給分を与え、引き立てることであろう。なお、参上しようという夜走・夜盗に限り、前科があろうが、借銭・借米などの債務があろうが、すべて帳消しにすることにしよう、と破格の条件を提示している。まさに、敵との決戦を目前に、国衆上田氏は、悪党を募集し、合戦に動員しようとしていたこと、その目的は、夜走や夜盗とある如く、忍び働きに他ならなかった。

 ここに、前科も指名手配もすべて帳消しにするから、忍び働きのために、大名領主に味方すべく陣中へ集合せよ、という忍びの雇用のあり方の一端が確認できるだろう。

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 同様の記録は、軍記物ではあるが、『陰徳太平記』にもみられる。同書巻三十二「播磨守盛重、継杉原家事」の一節に「並々の若党・足軽已下の者共は、皆山賊・海賊等たりと雖も、心志豪勇に膂力人に越えたる輩をば必ず召し置きける程に、元来盗賊を業として世をわたりける奴原なりければ、敵城・敵陣に夜討・忍討をかけ、或は火を付け、又は十重二十重取り巻きたる所を易々と忍びて、通路しける故、盛重、敵の隙を闖(うかが)ひ、重城を陥れ堅陣を挫く事、其員を知らず、是れ忍に馴れたる兵の多きが致す所也」、また巻三十七「杉原盛重、入伯州泉山城、附弓浜合戦之事」には「足軽の歩兵などは、武名だにあれば、山賊・剛盗をも嫌はず、召集めける間、夜討・忍討などは、中にも盛重が手の者其功を得る事度々也」などと記録されている。毛利家臣杉原盛重は、山賊・海賊などを若党(侍)・足軽として多数召し抱えており、敵城や敵陣に、夜討や忍討を仕掛け、放火を行なわせ、敵を翻弄し、戦功を数多く挙げていたという。

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戦場では「役に立つ」悪党

 かくして、強盗・竊盗としての「しのび」、詐欺師・人売りとしての「すっぱ」から、「忍の者」が形成された。彼らは、当座の扶持をもらい、罪を許され、大名領主から追われること、村町の人々から密告されること、そして仲間から裏切られることからも解放され、命を保障された。そして、大名や国衆の命令のもと、他国へとおのれの技量を発揮することが奨励された。わずかな扶持や同心給では、とても賄えない懐を、敵の領域において略奪の限りを尽くすことで埋め合わせることが公認された。そして、任務を遂行し、戦功を挙げさえすれば、恩賞にも与(あずか)れたのである。

 このように、大名や国衆らは、忍びを、若党・悴者などの下級の侍として、あるいは足軽として大量に雇用し、合戦に際しては、彼らのアウトローとしての技量を存分に発揮させ、味方を勝利に導く努力を怠らなかった。確かに、忍びとして活動する者たちの多くは、悪党の出身で、武家からは蔑視され、「悪党風情」などと呼ばれていた如く、低く見られがちであったようだが、戦争に際しては、彼ら抜きでの戦いは考えられず、その意味では実に頼りになる連中だったのである。

戦国の忍び (角川新書)

平山 優

KADOKAWA

2020年9月10日 発売