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有力者を頼る悪党が多数

 第四十八条をみると、結城家中での悪党や殺人を犯した者などと内通し、内密にしたばかりか、結城氏の目を盗んで自由に活動させたり、村里に隠し置く家臣が少なくなかったことを窺わせる。

 このほかに、他国からの渡り奉公人、渡り透波の類の存在が想定される。このことについては、『結城氏新法度』第九十九条に興味深い記述がある。

 一、外の悪党の宿請取いたすもの、洞之悪逆人にて候間、調べ候て打ち殺すべく候、可被心得候

 この条文によれば、他所から悪党が流れ者として、結城氏の領国に入り込み、それを自分の家に宿泊させたり、身元引受人になる家臣が多かったらしい。結城氏は、そうした他所から入ってきた悪党を宿泊させたり、その身元引受人になった者は、家中(「洞(うつろ)」)の悪逆人であるから、調査のうえで処刑すると述べている。

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 中世において、自らの屋敷に逃げ込んできたものの所有権と処分は、主人の判断にゆだねられることになっていた。殺人を犯した者や悪党を殺した者などは、被害者もまた同類の者が多く、処罰や被害者の関係者からの報復を恐れ、有力者を頼るケースが多かった。犯罪人である彼らを、戦国大名結城氏は成敗せねばならなかったが、家臣の屋敷に逃げ込んだ場合には、そこに踏みこむことはなかなか出来なかった。そこで、主人自身による成敗と首級差しだしで決着することとしたが、これを拒んだ場合は、改易処分にすると脅かすしかなかったのだろう。こうした法を制定せねばならぬほど、有力者を頼って処罰を回避しようとする犯罪者が後を絶たなかったのである。

戦場での活躍を期待

 では、そうまでして犯罪者(悪党ら)をなぜ武士は匿ったのだろうか。それを知る手掛かりが第四十八条である。結城家中の人々は、悪党らを匿い、所領の村々に隠し、領内で自由に行動させていたらしい。彼らをどのように使ったかは、この条文からは明らかにならないが、戦場での活躍を期待していたとみて間違いあるまい。結城氏の目を盗み、悪党を匿う家臣たちは、彼らを合戦に投入し、戦功をあげようともくろんでいたとみられる。条文を読むと、結城氏に対して隠匿することは罪科として指弾されているが、申請した場合については言及がない。このことから、自らを頼って逃れてきた悪党らを結城氏に申請し、許可さえ得れば、彼らを被官として使役することも可能だったのだろう。

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 このことは、忍びとなる者たちの雇用について、戦国大名が捕縛したり、降参してきた悪党、盗賊を、助命する代わりに透波に仕立て上げたという構図を、想定させる。