韓国の名誉は大きく毀損された
以後、この本を準備するに当たり朱益鍾(チュイクチョン)と李宇衍(イウヨン)の2人の博士が、呂運沢をはじめとした原告4名の経歴と彼らの証言を綿密に検討しました。その結果がこの本の第6章と第7章です。結論を言えば、原告たちの主張の相当の部分は嘘であるという点で、私の予断は間違っていませんでした。彼らは日本製鉄の募集広告に積極的に応募し、賃金をきちんと受け取っていました。未払金が貯金の形で残っていたのは事実ですが、それを取り立てることができなかったのは、終戦前後の混乱のためでした。相当額の未払金を残していた原告は4名中2名ですが、それぞれ496円と467円で、当時の4カ月分の賃金程度でした。それも、他の労務者には適用されない彼らだけの特殊な事情によるものでした。彼らが受けたと主張する会社からの虐待行為は、戦時期の軍需工場の労務管理が、一般的に軍事的規律に立脚していたためでした。そのような視点で、もう一度第6章と第7章を読んでいただけたらと思います。ただ、私の予断で間違って記述した部分があるので、ここで修正したいと思います。『反日種族主義』で私は、「原告たちを日本の大阪から朝鮮に引率した寄宿舎の舎監は朝鮮人だった」旨を記しましたが、実は日本製鉄の日本人職員でした。
原告中の2名が日本で訴訟を起こしたのは1997年です。その後、日本の最高裁判所が彼らの請求を最終棄却したのは2003年です。彼らは2005年から国内での法廷闘争を開始しました。目的は、いわゆる“強制連行と強制労働” 被害に対する慰謝料を貰う、ということです。彼らは、彼らの闘争を正当化するため、「月給を貰ったことがない」「会社に騙された」「会社から虐待された」などといった虚偽の記憶を創り出し、彼ら自身を、彼らの家族を、彼らの国家を、さらには国際社会を騙しました。
彼らの行為を、一般の日本国民はどのように受け止めるでしょうか? 近世の日本では、藩を離脱した者が幕府に訴訟を起こした場合、自身の君主に背いたとして、まずその者の首を打ってから訴状を開いた、と言います。ある新生国の国民が、国境を越えて元支配国に行き、金銭補償を目的に訴訟を起こすのは、そうでなくても脆弱なその国の名誉を大きく損なうことです。しかも、1965年に両国が国交を正常化し、将来提起される一切の請求権を含めて完全に清算する、という協定を締結した事案でもありました。