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【愛の告白

 4月になると金子は、かねてからの知り合いの名古屋の村田繁蔵という人が主宰する、健康第一会という会の機関誌の編集の仕事の手伝いを頼まれ、名古屋の村田宅で住み込みで働くことになる。健康第一会は政府の援助を受けて、女工たちの健康増進を図るための会で、講演や機関誌の発行のほか音楽の部もあり、ピアノの先生にただで教えてもらえる、という利点もあった。

 初めて親元を離れての独り立ち。金子はいよいよ自分で自分の道を切り開いて行く、という希望に燃える半面、これからどのように努力すれば憧れの声楽家になれるのか? 食住付きだから給料は安く、本格的に歌の勉強をする資金は到底貯まりそうにない。どうしたらよいのか? 将来に対する不安は重く圧し掛かってくる。

 その不安が勇治に対する想いに拍車をかけたのだろう。4月3日の手紙で金子はついに『私は貴方が好きです。私は大好きです。好きで好きでたまらないのです』と告白する。それに呼応するかのように、この手紙を受け取る直前に勇治も『私の最も愛する内山金子さん』と書いている。

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4月3日金子の手紙

 ふたりのお互いに対する気持ちの高まりは、手紙を通じて互いに感じ取っていたのだろう。そして愛を告白したのち勇治は、それまでの鬱々とした悩みはどこへやら、『うららかな春です。小鳥が楽しい声でコーラスを歌っています。もうすぐ春、春!』などと書き送っている。しかし勇治への愛情が深まるにつれ、金子は勇治が欧州に留学し、自分ひとりが置いてゆかれたらどうなってしまうのか?という不安に余計に苛まれるようになり、一方勇治も金子を置いてひとりで留学することなど出来ない、という気持ちが強くなってゆく。

 そしてついに5月下旬、勇治は何もかも放り出して、金子に会いに行く……。時に勇治20歳、金子18歳であった。

【ドラマ化

 私はこのふたりの恋愛を小説の形で本にした。恋愛の形は人によって千差万別であるが、一方古今東西、誰しも味わう共通の経験でもある。それだけに、こんな恋愛もあった、と記し残すのも意味があるだろうと思った。かなりの手紙を引用しながらの執筆だったが、ふたりの若さ溢れるエネルギーが直に伝わってくるような手書きの文章は、それだけで読む者を圧倒する勢いがある。ただ、最後の方の手紙は、読んでいるのが馬鹿らしくなるような、愛の言葉の羅列ではあるが。

手紙ー勇治ー金子4・5

 執筆したのはもう10年以上も前のことで、当初は父の生誕百年の2009年に間に合わせるつもりであったが結局間に合わず、出版の機を逸してしまい塩漬け状態となったが、その間、福島の関係者などに原稿を読んで頂いたりしているうちに、ドラマにしたらいいのでは、という声があがった。その声はやがて福島市と豊橋市共同の、古関裕而・金子夫妻の物語をNHKの朝ドラに、という運動となり、その運動が実り今年の春から放送されている連続テレビ小説「エール」となった。そしてそのおかげで私の著書『君はるか』も集英社インターナショナルより出版することが出来た。