恋愛、それは誰しも少なくとも一度は経験することであろう。人によっては幾度も懲りずに。でも他人の恋愛をつぶさに観察することは稀であろう。恋愛小説の大家(たいか)でも、他人の経験からヒントを得ても、ディテイルは自身の経験に基づくか、想像を膨らませるよりないだろう。
私はミステリや冒険小説などに興味があり、そういうジャンルの小説を書いたこともある。しかし恋愛小説を書こうと思ったことはなかった。その私が恋愛小説を書いた。それはある若い男女の恋愛の過程をつぶさに観察する機会に恵まれたからである。若い男女の互いへの想い、将来の夢、希望、現在の悩み、挫折、葛藤、そういったふたりの心の中を見て、これは古今東西を通じて変わらぬ若者の恋愛の姿ではないかと思った。このいわば典型的な恋愛の姿は書き残す価値があるだろうと思った。たとえそれが極めてプライベートな身近な人間にまつわる話であっても。そういう訳で私は恋愛小説を書いた。私の父と母の恋愛を。
(写真・手紙提供:古関正裕)
【ふたりの往復書簡】
両親の恋愛事情を知っている子供たちはどの位いるだろうか?
そんなに多くはないと思う。子供に自分たちの恋愛をつぶさに話す親も少ないと思う。
しかし私は両親の恋愛をつぶさに知る機会に恵まれた。何故かというと私の両親は文通で交際し、愛を育んだから。そしてその文通の書簡がかなり残されていたからだ。
今から90年前のこと。電話はあったが今のようには普及しておらず、電話代は高価。遠距離のふたりのコミュニケーションは郵便に頼るしかない時代の話である。
10年と少し前、私の父、作曲家古関裕而の生誕百年を迎えるにあたり、両親の文通していた時の書簡を整理しようと思い立った。その書簡は死後開封の事と書かれて封がされた紙袋に入っていた。その一部は読んだこともあり、父の伝記『古関裕而物語』(2000年 歴史春秋社)の著者の齋藤秀隆先生や、父の音楽の研究をなさった声楽家で博士号をお持ちの藍川由美氏など数人の方々には見せたりもしていたが、全てを読んだことはなかった。そこできちんと時系列的に整理しようと読み始めた。その手紙・葉書類は父が取っておいたものが主で、従って母から父へのものが多かった。実のところ母が保存していたふたりの書簡は、あるとき夫婦喧嘩をした際に、母が怒って燃やしてしまったのだ。そのため恐らく半分以上の書簡は失われていた。しかし残された直筆の手紙類からは、若き日の両親の息遣いまで感じられ、全く知らなかった若者の頃の両親の姿が見えた。