ドラマがピンチだ。新型コロナウイルス感染予防のためドラマの撮影がのきなみ中断され、再開時期が未定状態である。そのため4月期の放送開始日が延期されるものがあれば、始まったが途中で休止するものもあり、かつてない一大事になっている。

 “朝ドラ”こと「連続テレビ小説」は撮影が早い時期から開始されるので今すぐどうなることはないようだが、やがて休止になる危険性もある。1961年から毎日、朝に放送され続けて『エール』で102作目のご長寿シリーズに放送記録が止まってしまうのか。心配しながら、過去の朝ドラの神回を振り返って、朝ドラの良さを再認識してみたい。

その1)脚本家が「神回」と予告した、『半分、青い。』第73回

「神回」という言葉が朝ドラで一般化したきっかけは『半分、青い。』(2018年)であろう。脚本家・北川悦吏子がTwitterで神回予告をしたことで賛否両論を巻き起こした。シンプルに耳寄りな情報をもらえて喜ぶ人、作家自らが「神回」と事前に煽るのはいかがなものか、「神回」は見た人が決めるものだと眉をしかめる人に二分した。とはいえ、作家本人が自信をもって推すだけあって、神回とした第73回はたしかに朝見るにしてはあまりにもあまりにも感傷的な力作であった。

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『半分、青い。』でヒロインを務めた永野芽郁 ©AFLO

『半分、青い。』は生まれた時から一緒だったソウルメイトのような関係の幼馴染の鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)が数奇な運命に弄ばれ近づいたり離れたりなかなか結ばれない物語。第73回では、地元の同窓会で久しぶりに再会したふたりが帰りの列車を待つ間の、お互い想いがあるにもかかわらずはっきり言えないもどかしさをある行為を通して描いている。“ラブストーリーの女王”たる脚本であり、本人が推すのも無理もない。

その2)あさと新次郎と、雨…… 『あさが来た』第35回

 ラブストーリーとして神回だったと思う作品では、もう1作、『あさが来た』(15年 脚本:大森美香)の第35話を挙げたい。『あさが来た』は京都の商家に生まれた主人公・あさ(波留)が優しい旦那様・新次郎(玉木宏)に支えられて、炭鉱、銀行、女学校と事業を拡大していく半生記である。新次郎はとにかく理想的な夫として圧倒的な人気を誇り、彼に特化した書籍まで発売されたほどで、21世紀の朝ドラでは最高の平均視聴率23.5%(関東地区)を記録する要因ともなった。その新次郎には「嬉しいことがあると雨が降る」というジンクスがあり、あさとの祝言の日も雨が降った。

『あさが来た』では、夫婦役を演じた波留(左)と玉木宏(右) ©文藝春秋

 第35話では、結婚したもののなかなか子供ができず、あさは新次郎が妾をとることを受け入れる覚悟をする。だが心中穏やかではなく、ついに耐えきれず、雨の中、家を飛び出す。それを追う新次郎。そのとき着物の裾からチラ見えする新次郎の足の美しさも相まって、ドラマは最高潮に盛り上がる。雨のジンクスは新次郎の死のときも生かされていて、それもまた「神回」だったと思う(第155回)。

“朝ドラ”に限ったことではないが、神回とは連続ドラマを欠かさず見て来たことが報われるような奇跡のような瞬間が描かれる回と言っていいと思う。いわゆる「伏線」が回収されるとき、神回! と視聴者は震えるのである。『あさが来た』の「雨」の使い方は、作家の狙いは確実にあるにもかかわらずさりげなく洗練されていた。