たった3回の審理で死刑判決を破棄
第1審は、死刑判決が下されました。丁寧に事実認定を行ったうえで「家人殺害の実行を含めて病気の影響はほとんどみられず、合目的的で全体としてまとまりのある行動をとっている」として、完全な責任能力を認めたのです。加藤さんは判決後、少しホッとした表情を見せ、「これで妻と娘たちにやっと報告できる」と語りました。
被告人側は控訴しました。死刑判決の場合、弁護人は本人の意思に関わらず必ず控訴するので、それは予想されたことでした。しかし、第1審判決は、慎重かつ緻密な事実認定を行ったうえで、責任能力を認めていたので、控訴審でも翻ることはないだろうと考えていました。
東京高等裁判所で行われた控訴審は、バイロンに訴訟能力があるかが争点でした。事件後、長い期間身柄拘束が続いていることによる拘禁反応もあり、バイロンの精神状態は徐々に悪化している可能性があったからです。そのため、訴訟能力に関することしかバイロンに質問できず、審理はたったの3回、合計数時間で終わりました。バイロンは、第1審では車椅子だったのが、控訴審では自分で歩いており、以前よりむしろ元気になっているように見えました。
しかし、控訴審判決は原審を破棄し、「無期懲役」という予想外のものでした。バイロンは心神耗弱であり、責任能力は完全ではなかったというのです。しかし、控訴審判決が「心神耗弱」と判断した理由は、バイロンには「ヤクザに追われている」という妄想があり、殺害した3件の被害者宅への侵入は「妄想上の追跡者から逃れる目的」などとし、加藤さんの長女に対する性的行為は、追跡者から危害を加えられるという被害妄想とは全く結びつかないのに、その点については全く触れないなど、どれも納得できるものではありませんでした。第1審が認定した事実関係自体はそのままに、控訴審が法的評価を変更しただけのものでした。
加藤さんも、被害者参加弁護士も、東京高検の検察官も唖然としました。バイロンの弁護人ですら、そんな判決は予想していなかったかもしれません。加藤さんは、「裁判官が単に死刑にしたくなかっただけと感じた」と憤りを隠せない様子でした。
東京高検が、刑事訴訟法上の上告理由がないという理由で上告を断念したため、バイロンは死刑を免れることになりました。何の関係もない善良な市民、しかもお年寄りや女性、子どもばかり6人も殺しておいて「無期懲役」という悪しき前例を、たった3人の裁判官が数時間の審理だけで作ってしまったのです。
確定したらやり直す手段はない
バイロンは東京拘置所で、職員に対し「なんとか無期懲役にならないのか」と尋ねていたそうです。望み通り無期懲役となり、東京拘置所で今ごろ高笑いしているでしょうか。日本国民の税金で衣食住を保障され、病気になれば税金で医師から診察をしてもらい、税金で弁護士もつけてもらえます。加藤さんが納めた税金でバイロンを養っているも同然です。
しかし、バイロン自身には全く賠償能力がないので、遺族に金銭賠償をすることはありません。加藤さんは、衣食住に係るお金は自分で払い、弁護士費用も自分で負担します。この裁判のために必要だった刑事事件の記録のコピー代数十万円すら、自分で負担しなければなりませんでした。
加藤さんが、その理不尽に耐えたのも、亡くなった美和子さん、美咲さん、春花さんのために、絶対にバイロンを死刑にしたいという一心からです。バイロンが死刑になれば、最低限、亡くなった3人に顔向けできると考えたからです。
加藤さんは控訴審を「誤審である」と主張しています。しかし現行法では、これをやり直す手段はありません。この件は、上告を諦めた検察にも問題があります。刑事訴訟法上の上告理由がない場合でも、重大な事実誤認がある場合、最高裁判所は控訴審判決を破棄することができるのです。控訴審判決が最高裁によって破棄される可能性も十分にあったのに、それすらしませんでした。仮に最高裁が破棄しなかったとしても、加害者を許さない、ご遺族の無念を代弁するという検察庁のあるべき態度すら示さなかったことは、組織の限界を感じさせるものでした。命を大事に、残された遺族を大事にするため、控訴審でも裁判員裁判にすること、遺族にも上告する権利を与えることなど、様々な法律や制度を変える必要があります。