1ページ目から読む
5/10ページ目

 末っ子らしく甘えん坊で要領がよく、学校ではしっかり者で通っていたようですが、帰宅するといつも姉の美咲にくっついて遊んでいました。妻に似たのか世話好きなところがあって、そういうところに春花の思いやりを感じました。家の中では女の子らしく、妻と一緒に折り紙をしたり絵を描いたり、ビーズ遊びをしたりしていました。手先が器用なところも妻譲りだったと思います。将来の夢は、パン職人でした。

 最後に家族で出かけたのは、事件の2、3週間前でした。秩父へ行き、鍾乳洞や博物館に行きました。まさか、それが最後のお出かけになるとは思ってもみませんでした。

 2人の娘の名前は、妻がつけました。「美しく咲く春の花」ということで、長女が生まれる前から、もし女の子が2人生まれたら、美咲と春花にしたいと言っていました。寒い冬を乗り越えて力強く芽を出し、やがて美しく咲く花になる、辛く苦しい時も2人で助け合い、手を取り合えば春の花のように美しい人生になるという願いを込めて。美咲と春花はその願いにこたえ、本当に仲よく助け合って毎日を過ごしていました。その純真な2人の娘を、この被告人は自分の欲望のためだけに殺しました。しかし、美咲と春花の美しい魂は私の心の中に、この世の中に生き続けています。私は絶対に被告人を許すことはありません。

ADVERTISEMENT

※写真はイメージ ©iStock.com

5 事件直後のこと

 事件の日のことは、今でも忘れられません。平成27年9月16日午後6時半頃、私が仕事から帰ると、家から100メートルくらい離れたところに警察の黄色い規制線が張られていました。何が起きているのかよく分からず、集まっていたマスコミの人に尋ねると、「おばあちゃんが亡くなった」とのことでした。私が、「家に帰りたい」と言うと、警察の人が自宅の近くまで連れて行ってくれましたが、私の家が事件現場だと気づいたのか、警察官から「安否確認のため、熊谷警察署に行ってください」と告げられました。私は、何が起きているのか全く分からず、「安否確認って何?」と思いながら、とりあえず熊谷警察署に行きました。すると2階に連れていかれ、いきなり「3人とも心肺停止」と告げられました。

 その時の私の心境は、なんと説明していいのか分かりません。「3人とも心肺停止」というあまりにも衝撃的な出来事を真正面から受け止めることができず、「亡くなったのかな?」とか「まだ生きている可能性もあるのかな?」とか「今日から俺一人なのかな」とか、色んなことがどこか他人事のように頭の中を駆け巡りました。そうするうちに、私や妻の家族が集まってきて、ニュースでこの事件が報道されていると聞いて、それで初めて私の家族が事件の被害に巻き込まれたのかなと思いました。