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 2018年1月、ようやく裁判員裁判が始まり、予定通り、加藤さん、髙橋弁護士、私も一緒に参加しました。バイロンは、法廷で不規則発言を繰り返し、なんらかの精神疾患があることは見て取れましたが、供述内容から事件のことはしっかり認識しているようでした。

 加藤さんは、被害者参加制度を利用し、全ての期日に出席して審理を見守り、自ら被告人質問をしたうえで、「心情に関する意見陳述」を行いました。裁判官と裁判員に、加藤さんの妻と娘たちがどれほど素晴らしい人だったか、かけがえのない人だったか、3人を失ったことがどんなに辛いか、加害者を憎んでいるかを知ってほしかったからです。少し長くなりますが、加藤さんの当時の心情がよくわかるので、意見陳述をそのまま載せます。

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「心情に関する意見陳述」

1 はじめに

 私は被告人から妻と2人の娘を殺された被害者遺族です。ある日突然、4人家族が私1人になってしまいました。なぜ、私の家族がこんな目に遭わなければならなかったのでしょうか。なぜ私は今、1人なのでしょうか。私の妻と2人の娘がどんな人だったか、私にとってどれほど大切な存在だったか、皆さんにぜひ知っていただきたいと思います。そして、あの事件で180度変わってしまった私の生活、被告人に対する怒り、この裁判で思ったことなどを率直に述べます。

事件で命を奪われた妻子の写真を前に、記者会見する加藤さん ©時事通信社

2 妻と出会って結婚するまで

 妻は、私の友人が勤めている会社で、友人の部下でした。その関係で私が23歳、妻が22歳の時、飲み会で初めて会いました。その後も何度か飲み会で顔を合わせることがあり、妻がとても思いやりのある女性であることが分かってきました。例えば、大勢でアウトドアに出かける時も、あらかじめ皆の役に立つような準備をしてくれており、私だけではなく、他の人に対しても平等に、その場にいる人全員が気持ちよく過ごせるように配慮できる人でした。

 そんな妻の人柄に惹かれ、出会ってから3カ月ほどで、私の方から正式に交際を申し込み、妻も快諾してくれました。2人とも社会人でしたが、週に1、2回は電話やメールをし、よほど用がない限り、週末は必ずデートしました。地元の観光地に出かけたり、一緒に釣りに行ったりすることが多かったです。妻は景色のいい場所が好きで、時々ドライブもしましたし、都内に出て買い物を楽しんだりもしました。私の誕生日には、手編みのセーターをもらったこともありました。私からは、主にアクセサリーをプレゼントしていました。クリスマスにはちょっとおしゃれなお店に食事に行ったり、初詣に出かけたりして、ごく普通のカップルとして仲良く過ごしていました。

 妻と交際を初めて7年くらいたった頃、自分が30歳になったこともあり、友人たちが次々と結婚するようになって、私も結婚を意識するようになりました。そして、平成16年1月ころ、具体的な言葉は忘れましたが、妻にプロポーズしたら、妻はとても嬉しそうな笑顔を見せてくれました。そして、その年の3月25日、妻の誕生日に婚姻届を提出しました。私は妻のことを8年も待たせてしまいました。結婚後、妻は時々冗談めかして、「なにしろ私は8年も待ったんだからね」と私に言いました。妻は本当に器の大きい女性でしたが、私を8年待っていてくれたことが、それを一番よく表しているエピソードだと思います。

 新婚旅行は沖縄に行きました。首里城や美ら海水族館などの観光名所のほか、沖縄本島から近い水納島という島の本当に美しいエメラルドグリーンの海で、2人で泳いだことが鮮明に思い出されます。生きていて楽しいという実感を抱くことができた大事な大事な思い出です。