文春オンライン

熊谷6人殺人事件で無期懲役判決 遺族の慟哭「被害者に寄り添ってほしい」

妻と娘2人を殺された遺族の陳述「人生が180度変わった」

2020/09/12

genre : ニュース, 社会

note

4 娘たちのことについて

 長女の美咲は、結婚して2年くらいして生まれました。美咲は、妻に似て人に対する思いやりがあり、常に人を気遣う娘で、怒ったところを見たことがありませんでした。私も妻も、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ったことはないのですが、妹の春花と喧嘩になっても、いつも自分が我慢していました。おもちゃも妹優先で、後から妹にやり返したりするようなことはありませんでした。本当は色々と言いたいことがあったのかもしれませんが、人に弱さを見せない芯の強さがありました。

 大きくなったら、アイドルになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいなど、女の子らしい夢を抱いていました。少女向けの学園ものアニメ「アイカツ」が大好きでした。運動が得意で、運動会ではかけっこもだいたい一番でしたし、一生懸命縄跳びの練習をして、クラスで1、2番を取るようになりました。亡くなる前は、バドミントンを始めていて、熊谷市が主催するバドミントン教室に通っていました。月2、3回の教室で、数カ月間でしたが、教室がある日をとても楽しみにしていました。しかし、最後の1回が事件のせいで行けなくなったことは、美咲の心残りだったと思います。

ADVERTISEMENT

※写真はイメージ ©iStock.com

 また、芸術系の大学で絵画を専攻していた妻に似たのか、絵も上手で、学校から出品するコンクールで何度か賞を取ったことがあります。美咲が歯磨きをしている絵だったり、夏休みに家族で出かけた祭りの絵だったと記憶しています。自宅では、妹の春花も一緒に、花や動物、母親である美和子の絵をよく描いていました。

 美咲は、あちこち目移りせずに、一つのことをコツコツやるタイプでした。そのコツコツはいつか、名前の通り、美しい花を咲かせただろうと思います。美咲は小学校5年生で亡くなってしまいましたが、私は、どうしても小学校を卒業させてあげたくて、小学校の卒業式に出席し、卒業証書を授与してもらいました。生きていたら今、中学1年生です。

 今、私の中でとても大事な思い出になってしまったのですが、美咲は3年前、私の誕生日に手紙をくれて、「パパと結婚したい」と書いてありました。そのことを今でも思い出し、胸がしめつけられる思いです。

 二女の春花は、美咲が生まれた3年後に生まれました。3月31日生まれなので、同級生の中では1年遅れのようなものですが、おとなしめの加藤家にあって、びっくりするようなやんちゃで元気な娘でした。初対面でも誰とでもすぐに仲良くなることができ、とても社交的でした。笑顔の絶えない娘で、人を笑わせることが上手で、いつもおちゃらけていました。その一方で、負けず嫌いで頑固で、私に対してムキになることも度々ありました。冗談で叩き合っても、最後に自分が叩くまで気が済まない娘でした。ゲームも自分が勝つまで終わりにしなかったです。