最高裁は9月9日付けで、熊谷連続殺人事件の上告を棄却しました。そのため、東京高裁が下した「無期懲役」判決が確定しました。つまり、被告人の死刑はなくなり、無差別に6名殺しても死刑にならない、という先例が残ったことになります。
この事件は、さいたま地裁で行われた裁判員裁判で死刑判決が下されたのですが、東京高裁は死刑判決を破棄し、心神耗弱を理由として無期懲役としていました。その後、検察は上告を断念し、無罪を主張する弁護側のみが上告しました。それを今回、最高裁が棄却したのです。
上告棄却の連絡を受けた日、遺族の一人、加藤さんと何度か電話で話しました。加藤さんは、「殺人事件って特別だと思う。司法はもっと被害者に寄り添ってほしい」「司法は、頭のいい人たちだけでやってるのかもしれないし、ちゃんと司法制度を勉強して、という気持ちもあるのかもしれない。でも、そういうことではなくて、もっと人としての感情を理解してほしい」と述べ、司法に対する不信感を露にしました。そして、「控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」「最高裁に上告しなかった検察への怒りは強い」と無念の気持ちを訴えました。
加藤さんの問いかけを発信するため、『死刑賛成弁護士』(犯罪被害者支援弁護士フォーラム、文春新書)から一部を抜粋して紹介します。
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警察取り逃がし後の凶行
2015年9月、人口約20万人の地方都市である埼玉県熊谷市は、騒然とした空気に包まれました。わずか3日間で、3家族6人が自宅で何者かに殺されるという凶悪事件が発生したからです。
この事件の犯人は、ぺルーから仕事で日本に来ていたナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(以下「バイロン」と言います)という当時30歳の男です。バイロンは2015年9月13日に民家の敷地内に侵入し、熊谷警察署に任意同行されます。ところが、聴取の途中、タバコを吸うために警察署の玄関先に出たところで、財布や携帯、パスポートなどのすべての所持品を警察署に置いたまま、猛ダッシュで逃走し、警察官の追跡を振り切り、行方不明になりました。そのころバイロンは別の民家に侵入して家人に金を要求したり、通行人に金の無心をしたりしていましたが、警察犬もバイロンにたどり着けませんでした。
その翌日である9月14日、バイロンは、熊谷市在住の50代夫婦宅に侵入して夫婦を殺害し、2日後の16日には熊谷市内で一人暮らしをしていた80代女性宅に侵入して女性を殺害。その後、すぐ近所に住む加藤さん(名前は非公表)の自宅に侵入し、妻の美和子さん(当時41歳)、長女美咲さん(当時10歳、小5)、二女の春花さん(当時7歳、小2)の3名を殺害しました。後の捜査によって、バイロンが殺害した被害者宅から金品を盗んだり、美咲さんに何らかの性的行為をしていたことも明らかになりました。
バイロンは加藤さん宅で3人を殺害した後、その場にとどまっているところを警察に発見されますが、2階から飛び降りて頭部を強打・骨折して病院に運ばれました。その時は意識不明でしたが、9月24日に意識を回復し、10月8日に退院して逮捕されました。
「被害者参加」を決断
事件から約8カ月後、バイロンは、住居侵入、強盗殺人、死体遺棄罪で起訴されました。しかし、裁判が始まるまでにそこから約1年8カ月もの時間を要してしまいます。バイロンに事件当時、責任能力があったかということと、事件後、裁判を受ける意味を理解できるか、という訴訟能力を巡って精神鑑定が何度も行われたからです。
検事から、「裁判自体、開けないかもしれない」、「裁判をしても責任能力がないということで無罪になるかもしれない」と説明を受け、加藤さんはその理不尽さに苦しみます。バイロンに何かの異常がなければ、何の落ち度もない人を6人も殺せるはずはないからです。
加藤さんは、家族3人を一度に失った悲しみ、怒りに押しつぶされそうな気持ちを必死につなぎながら、裁判が始まるのを待つしかありませんでした。家族で住んでいた家が殺人現場となってしまい、そこに一人で暮らすのは耐えられないので実家に戻り、仕事もずっと休んでいました。
加藤さんは、裁判に「被害者参加」することを決めました。被害者参加とは、事件の被害者や遺族が、刑事裁判に参加して審理に関わり、被告人に質問したり、検察官とは別に求刑したりできる制度です。その際、弁護士に援助を求め、一緒に活動することができます。その役割を担う弁護士を「被害者参加弁護士」といい、被害者参加する被害者やご遺族に制度の説明をしたり、被告人質問や求刑意見を一緒に考えたり、被害者参加人に代わって意見を述べたりします。髙橋正人弁護士と私は、加藤さんから委託を受け、被害者参加弁護士として活動することになりました。加藤さんは、被害者参加をする理由について、「なぜ自分の家族が殺されなければならなかったのか、バイロンに直接聞きたいから」と話してくれました。