警察は、次々と私の日々の生活状況について質問してきました。私は気持ちが動転していたので、その時は問われるままに答えましたが、貯金の額まで聞かれて、今にしてみれば、なんでそんなくだらないことを聞くのだろう、という感じでした。
警察からは何度か「ご遺体の写真を見る心の準備が出来ましたか?」というようなことを聞かれました。私が写真を見たのは、日付が変わった深夜のことでした。3人の顔写真を見せられました。血の気がなくて青白い顔で、目をつむっていました。本当に亡くなったのかな、と思いましたが、まだ現実を受け入れられませんでした。
その後、司法解剖があって、ようやくご遺体と会えたのは、1週間くらいたってからのことでした。亡くなっていると分かっていましたが、その間、私は3人に会いたくてたまりませんでした。
深谷警察署で、3人が並んでいるところに案内されました。司法解剖されたばかりで、化粧などもされていませんでした。3人を見て、本当に動かない、会話が二度とできないのか、ということを痛感しました。3人とも洋服を着ていなかったので、私は妻の妹と一緒に3人の洋服を買いに行きました。いつも着ていたような、それぞれの好みに合っていそうなものを選びました。辛い買い物でした。
その後、2日くらいたって、お通夜と告別式を行いました。葬儀屋さんが、妻の遺体を棺に入れました。春花は、妻の兄が棺に入れました。葬儀屋さんから「美咲ちゃんはお父さんがどうぞ」と言われ、私が抱きかかえて棺に入れました。その時、美咲の重さを全身で受け止めながら、父親として抱っこしてあげられるのはこれが最後だと思うと、抱っこしたまま棺におろしたくない、このまま時間が止まってくれたら、という気持ちでいっぱいでした。
喪主は、一人残された私でした。私の仕事関係や近所の人たち、妻の友達、娘たちの小学校の子供たちもたくさん来てくれて、とても悲しんでいる様子でした。泣いている子供たちがたくさんいて、折り紙などを棺に入れてくれました。
私は、喪主としてこの葬儀をつつがなく終わらせなければならないと思い、そのことで精いっぱいで、具体的なことはあまり記憶がありません。
私の母は、嫁と孫を失ったショックだと思いますが、事件直後に倒れて入院し、葬儀にも参列できませんでした。今でも後遺症があります。私の両親にとっても、妻の両親にとっても、美咲と春花はたった2人の孫でした。今はもう孫はいなくなってしまいました。そして、妻の友達や娘たちの友達、学校関係者など、妻と娘を知る多くの人がみんな、悲しみに暮れました。今でもこの事件は、私たちのことを知る多くの人の心の傷になっているのです。