山崎照朝は、いくつもの顔を持っている。極真会館の黎明期を支えた空手家であり、ムエタイ戦士を倒したキックボクサー。サラリーマンとしては、東京新聞ショッパー社の営業マン。そんな山崎にある依頼が…。『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』(東京新聞)が明かす、クラッシュ・ギャルズとの意外な関係とは。
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1983(昭和58)年の初夏。
全日本女子プロレス(全女)を風靡(ふうび)したジャッキー佐藤&マキ上田の「ビューティ・ペア」が解散してから4年が過ぎていた。ジャガー横田、デビル雅美がトップに君臨。だが、ブームを巻き起こすには至らず、冬の時代を迎えていた。
全女のマネジャー、松永国松の頭の中にはある計画があった。
時代は必ず本格路線のプロレスを求めてくる。デビュー3年目の長与千種とライオネス飛鳥(本名・北村智子)を抜擢して、ペアを組ませる。話題づくりを兼ねて、外部で名前のある指導者にスターへと育ててもらう。しかも、絵作りではなく、真剣に練習を課してくれる人がいい。
さて誰がいいのか。全女のコミッショナーの植田信治に相談すると、植田はすぐにある男の名を挙げた。
「極真王者の山崎君が適任じゃないかな。ずっと接してきて、信用できる男だよ。あまり他人に教えるタイプではないんだよな。他の人が言っても難しいかもしれないが、俺が言えば、大丈夫。なんとかなるんじゃないかな」
植田はスポーツ新聞の記者の頃、山崎を取材したことがあった。一つ心配があるとすれば、山崎の頑なな性格。表に出ることを好まないことを知っていた。
全女のオーナー、松永家は柔道一家で空手には疎く、山崎の実績を知らなかった。山崎へのコーチ依頼、どれくらいの頻度で指導するかなど、すべて植田に任された。
植田はすぐに山崎と連絡をとり、ことの成り行きを説明した。
「飛鳥と千種を組ませて空手で売り出したい。コーチをやってくれないか?」
「うーん…。まじめに教えられるならいいですよ」
空手とは畑違いのプロレス。少し迷ったが、前向きに答えた。