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大物幹部も“音信不通”、銃撃事件直後に寝返り…神戸山口組の瓦解で危惧される「新たな抗争」

大物幹部も“音信不通”、銃撃事件直後に寝返り…神戸山口組の瓦解で危惧される「新たな抗争」

2020/09/19

genre : ニュース, 社会

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 山口組内だけでなく、暴力団業界の「ブランド」とされてきた「山健組」が今年8月、神戸山口組から離脱、独立したことに波紋が広がっている。

 こうした状況下で、憶測を呼んでいる人事がある。山健組の離脱直前となる8月上旬、神戸山口組では最高幹部である正木組組長の正木年男、黒誠会会長の剣政和が「引退」したのだ。

 神戸山口組はすでに「引退御通知」とのタイトルの書面を同組執行部名で暴力団業界に通知している。正木組、黒誠会の双方は神戸山口組の結成時のメンバー。正木はいまや神戸側から連絡がつかない「音信不通」の状態だという情報もある。

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 山口組分裂をめぐる対立の構図が複雑な形になるばかりで、警察当局は新たな抗争事件の発生を危惧している。(全2回の2回目/前編から続く)

最高幹部への「引退御通知」

 山口組は2015年8月に分裂し、離脱した13組織が神戸山口組を結成し対立の構図が生まれた。6代目山口組組長の司忍ら執行部はこの際に、離脱した13組織の代表者のうち山健組組長の井上邦雄や正木組組長の正木ら5人を最も重い「絶縁」としたほか、黒誠会会長の剣ら8人を「破門」とする処分を下した。

6代目山口組の司忍組長 ©️時事通信社

 分裂以前、井上は6代目山口組本体の「若頭補佐」、正木は「舎弟」、剣は「幹部」と、いずれも最高幹部たちだった。剣が務めていた「幹部」という役職は若頭補佐に次ぐ山口組内の正式な呼称で、分裂直前は剣ら10人が就いていた。

 引退が明らかになった正木は、1989年に渡辺芳則が5代目山口組組長に就任して新体制が発足後すぐに、直参と呼ばれる直系組長に取り立てられ、その後は渡辺の秘書として活動。6代目体制に移行後は若頭補佐という最高幹部の一角を占めていた。警察当局は分裂時、山健組の井上が離脱グループのリーダー、宅見組組長の入江禎と正木が参謀格とみていた。

 山口組、神戸山口組の双方の事情に詳しい指定暴力団幹部が、正木らの引退について述べる。

「正木は5代目体制の最初のころに直参になった、キャリアが長い最高幹部。6代目体制になっても重用されていたので分裂で神戸山口組に移った時は驚いた。しかし、最近は神戸山口組の幹部が相次いで離脱しているため、正木も先々のことを考えたのだろう。離脱にさほどの驚きはなかった。正木と同様に、黒誠会も5代目時代からの名門と言ってもよいのではないか。しかし、黒誠会は最近、組織と呼べるような状態ではなく、影響はさほど大きくないはずだ」

神戸山口組の井上邦雄組長(左から2人目) ©️時事通信社

 つまり正木も剣も、神戸山口組の行く末を案じて、早めに退いたというわけだ。とはいえ、正木、剣自身が「引退」したからといって、安心できるわけではない。2015年8月、6代目山口組を離脱した際に「絶縁」「破門」となっているためだ。首都圏の警察本部で組織犯罪対策を担当している捜査幹部が語る。

「神戸山口組は正木と剣を引退したと認めたかもしれないが、6代目山口組としては認めないだろう。認めないどころか、『いまだに許すわけにはいかない相手』と考えているのではないか」

神戸山口組系正木組組長の正木年男、黒誠会会長の剣政和に出された「引退御通知」

 警察当局は、引き続き2人についても情報収集が欠かせないという。