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“名将”ロンメルは、いかにして圧倒的な戦力のイギリス軍を壊滅させたのか

『ロンメル将軍 副官が見た「砂漠の狐」』より #1

2020/09/24

genre : ライフ, 歴史, 読書

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 私たちはトブルクからの砲撃に、激しく悩まされることがなかった。というのは敵の砲撃の重点が、第15装甲師団の戦車と歩兵に集中されていたからであった。そして私たちは要害線をほぼ越していた。

 しばらく思いがけない地雷原のために、私たちの進撃が遅れた。すると戦車部隊が、歩兵と対戦車砲兵の先に立って、突破した。インド兵、ことにマーラタ兵は必死になって反撃したが、不意の攻撃と急降下爆撃の衝撃から立ちなおっていないようだった。グルカ兵が軽無限軌道車で急ぎかけつけて反撃した。しかし彼らは機関銃、対戦車砲、迫撃砲の集中砲火を浴びて、なぎ倒され、追いはらわれ、そして押し返された。

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トブルクの砲兵隊からの反撃

 7時半かそれより後になって、トブルクの砲兵隊はようやく砲火を、私たちに集中しはじめた。――が、すでに手遅れであった。敵の砲手は私たちのあいだにある戦車を追いつづけた。だがいまとなっては私たちは堅固な遮蔽物の下にいるので、安心していた。

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 攻撃は計画通り行なわれていった。ただ予期したよりも早く進んでいた。少数の戦死傷者をだしたが、損害は比較的に軽微だった。私たちは最初の捕虜たちを後送して、前進して行った。私の部下たちは第115狙撃兵連隊の輸送車の数輛と連絡がとれた。

 その午前中にロンメルの戦車部隊は、第1自動車化歩兵大隊の機動対戦車砲兵隊に掩護されて、その第1目標――トブルク=エル・アデム路とバルディア路との分岐点、トブルクの守備隊がキングス・クロスと呼んだ個所を目指して、着々と進んで行った。

 1941年のはじめに遡って、敵がこの地区にもっとも強力な砲兵隊を配置したのを、わが軍は探知していた。わがほうは多くの砲兵隊によってくいとめられた。はじめは王立砲兵隊、後には、私が思うのに、南アフリカ砲兵隊だったが、敵の砲は次から次へと、わが戦車部隊と歩兵部隊のために破砕され、じゅうりんされた。

戦線から退くイギリス軍部隊

 他のドイツ軍戦車部隊はキングス・クロス付近で、第4王立戦車連隊と出会い、それらを粉砕した。イギリス軍の戦車は小部隊で、反撃兵力として急遽、前進して来たのであった。それらは個々ばらばらで、歩兵部隊と連繋して掩護を受けることをしなかった。とうていわがⅢ号戦車やⅣ号戦車に敵うべくもなく、朝の半ばまでにはわずか6輛が、ようやく活動しているのみであった。それらの戦車は戦場から苦闘しつつ退いて行った。