2020年、戦後75年の夏を迎えた。戸髙一成氏(日本海軍史研究家)・大木毅氏(現代史家)の共著『帝国軍人 公文書、私文書、オーラルヒストリーからみる』(角川新書)より、敗北に終わったレイテ島をめぐる決戦前の“ある事件”について、関係者らは何を2人に語り残したのか。その一端を明かす。

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「マッカーサーの参謀」と言われた男

大木 レイテといえば、陸軍中佐だった堀栄三さんの話を外せません。堀さんは、戦争中には「マッカーサーの参謀」というあだ名がついたほどの人でした。それは、「お前はマッカーサーの側にいるんじゃないか」というぐらい、米軍の動向を手に取るように正確に予測したからです。

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 昭和19(1944)年10月の台湾沖航空戦では、アメリカの空母機動部隊を撃滅したといって、最初はみんな大喜びでした。それにもかかわらず、アメリカがレイテ島に進攻してきたため、「よし、こいつをぶっ叩いてやる!」と陸海軍ともに考えたのです。

戦果報告に耳を貸さない参謀本部

大木 当時、堀栄三さんは九州の鹿屋にあった海軍の飛行場で、フィリピン行の連絡機を待っていた。そこで、帰投してきた海軍のパイロットたちを捕まえて聞いてみると、どうもおかしい、日本軍がアメリカの空母を沈めたはずがない、台湾沖航空戦の実際の戦果は海軍が報告してきた内容と異なるのではないか、と思った。そのため、情報をまとめて報告したものの、参謀本部は耳を貸しません。米空母機動部隊が撃滅されたという前提でいるから、「よし、レイテで決戦するぞ」と、もう準備を始めてしまっている。

戸高 追撃しよう! ぐらいの勢いになっている時ですから。

大木 堀さんの報告を握りつぶしたのが、瀬島龍三(元陸軍中佐。参謀本部作戦課勤務、関東軍参謀)ではないか、という説を保阪正康さんが出していますね。