大木 朝枝さんは強硬派で、いわゆる「ほら吹き」でもあり、戦後に真偽を確かめ難い話をして我々を困らせた人です。しかし、その時の朝枝さんは、堀報告が握りつぶされた一件を切りだしてくださった。堀さんが、それに答えたのです。両者とも名指しはしませんでしたが、前後関係から瀬島龍三だとわかる。
これがきっかけで、堀さんは台湾沖航空戦への疑問を報告したが大本営に握りつぶされた、という話が明るみに出ました。その後出版された『大本営参謀の情報戦記』に、もっと赤裸々に本人が書いてしまったわけですが、この本が刊行されたのは1989年のことです。
「瀬島龍三の言うことは、俺は信用しない」
戸高 それもこれも、情報を受取る側である作戦系の人が「聞きたくない」という情報を握りつぶしていたからです。せっかくの情報が何の意味もなくなる。
瀬島龍三は戦後の「活躍」、実業界での仕事が評価されています。山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公は瀬島がモデルとされています。しかし、海軍では、瀬島龍三の名前を聞いただけで「あいつは嘘つきだから」と即座に反応するような人もかなりいました。「瀬島龍三の言うことは、俺は信用しない」と、直接言う人がいたのです。
「マレーの虎・山下奉文」は虚像?
大木 瀬島龍三に憤りを感じていた人は多いですね。
堀栄三さんはレイテ戦以後、フィリピンで山下奉文の参謀を務めます。山下は若い頃、二・二六事件で妙な動きをしたりして、あまり評価はされていませんでしたが、フィリピンでは名を上げましたね。山下の話で一つだけ印象に残ったのは、「マレーの虎」としての山下奉文は虚像で、むしろ神経の細かい人だと堀さんが言っていたことです。例えば、海軍の連絡参謀が山地を突破して司令部に来ます。みんな忙しいから「そこに座っとれ」などと言って待たせている。すると、山下奉文が「あれは誰だ?」と訊く。「海軍の連絡将校です」と答えると、「苦労してやって来たのではないか」「まず風呂に入れてやって飯を食わしてやれ」と言う。そういう人だったようです。