戦地での数々の活躍から“名将”という評価をほしいままにしていたロンメル。しかし、戦地に新たに誕生した、狡知に長ける“新しい”砂漠の狐によって、戦線は後退の一途をたどることになる。
近年、戦術的な視野の狭さが語られるようになり、将軍としての評価が見直されつつあるロンメルの当時を、副官はどう見ていたのか。『ロンメル将軍 副官が見た「砂漠の狐」』(著者 ハインツ・ヴェルナー・シュミット、訳者 清水政二監訳、解説大木毅 角川新書)より引用し、紹介する。
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ロンメル、最後の試み
私たちはそのころエル・アラメイン地区で四六時中、はっきり目を覚ましていなければならなかった。敵の空軍は夜となく昼となく襲ってきた。イギリス軍と南アフリカ軍の航空機は、ことに夜になると、絶えず私たちの安らぎをかき乱した。補給路は必ずといっていいほど、落下傘付の照明弾であかあかと照らされていた。絶え間ない爆音が私たちの眠りを妨害した。
命令違反になるけれども、私たちはカイロから放送しているニュースと音楽に、毎晩耳をすました。イギリス軍はそこに立派な対敵宣伝放送局を設けていた。第8軍の捕虜の話では、彼らも敵の、とくにベオグラードやアテネから放送される「リリー・マルレーン」の歌を聞いていた。その感傷的な調べが、私たち両方の側に爆弾や砂漠の戦い以外に、人の世にはさまざまなものがあるのを、今さらのように思い起こさせた。
ロンメルは希望したほど強力ではないが、増援を受けていた。ラムケの落下傘部隊に加えて、第164歩兵師団がクレタ島から到着した。この師団は自動車化されていなかったが、イタリア軍部隊のあいだに「コルセットの支え」として投入されることになった。イタリア軍増援部隊のなかには前に記したように、フォルゴレ師団の落下傘部隊があった。わが軍がエル・アラメインで停止するに至った時、落下傘部隊が直接クレタ島から飛来しエル・アラメイン地区に降下しなかったのは、なぜかといぶかしんだが、イギリス軍が制空権を握っていては、その計画は実行不可能だったのである。
一か八かの奇襲を決意
時間の経過は、どうもわが軍にとって、不利になるように働いていた。情報機関のもたらしたありがたくないニュースによると、新型のアメリカ製シャーマン戦車が海路輸送中で、9月にはエジプトの港に着くということであった。カイロで発行しているある南アフリカ軍出版物のなかに、クリスマス・カードの注文を求める印刷屋の広告が載っていた。それはまさしく新シャーマン戦車とおぼしきものをはっきりと示していた。わが情報部の技術者たちは、この新型戦車が装備している砲の細部に、とりわけ関心を示した。
十分な補給燃料がすでに輸送途上にあるとの確約を受けて、ロンメルはいちかばちかモントゴメリーに決定的な打撃を与えようと決心した。