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ロンメルに牙をむくモントゴメリー

 彼は南方遠くに送油管敷設工事をはじめ、給油所までつくって、わがほうを欺いた。その完成を慎重に引きのばして、第8軍が明らかにエル・アラメイン戦線の南部戦区で計画しているらしい攻勢の、開始されるまでには、まだかなりの時間がかかるようだと思わせた。空中偵察もこの送油管が古石油罐でつくったまやかしであるのを見破れなかった。

 心理上からも、モントゴメリーは先手を取っていた。第8軍は人員・資材の増援を着実に引きつづき受けていて、その部隊はその事実を知っていたし、彼もまたそう話していた。彼は前途に明確な任務をもち――ロンメルを打ち破り、エジプトの脅威をとりのぞき、そしてそうすることによって名声をかちとろうとしていたのである。

 ロンメルに属する2か国の軍隊は効果的な増援を受けていなかったし、部隊もそれを知っていた。彼は袋小路に入っていた。彼はトブルクで待望の勝利をかち得たが、アリグザンドリアまで一気に追撃するだけの勢いはなかったのだ。中東戦域は補助的な戦線と見なされていた。ロンメルはみずからをエジプトの主とすることのできないのを感じていた。

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消耗しきったロンメル

 それにロンメルは病人だった。会うたびごとに?せていくのがよそ目にもわかった。戦争初期の労苦はさておいて、彼は砂漠で絶え間なく心と肉体を緊張させて、20か月も過ごしてきたのであった。1年以上も彼は定期的にくり返す黄疸の発作に苦しんでいた。当時のロンメルは消耗しつくしていたのである。

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 故国で治療するのが唯一の道だった。彼は空路ドイツへ帰った。ウィーンの南西、下オーストリアのゼンメリングの病院に入る前に、彼はヒトラーと会見した。ロンメルはアフリカでドイツ軍の前に生じるにちがいない危険を、少しもためらわずに語った。そしてその危険はエル・アラメイン戦線に、戦車の増強を得られないので、そのころすでに生じつつあった。アフリカ軍に対する補給を確実に保証する問題もまた、しっかりと取り組まれるべきだと、彼は主張した。ヒトラーはロンメルにいっさいを果たすと約束した。しかしロンメルがアフリカの私たちのところへ帰って来ることは、考えられていなかった。快方に向かったら、彼はウクライナの軍集団の指揮をまかせられるはずであった。

 アフリカ装甲集団の指揮はシュトゥンメ将軍に引き継がれた。

ロンメル将軍 副官が見た「砂漠の狐」 (角川新書)

ハインツ・ヴェルナー・シュミット ,清水 政二 ,大木 毅 ,大木 毅

KADOKAWA

2020年9月10日 発売