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 私の26回目の誕生日、イギリス空軍はべつに悪気があったどころか、全然何も知らずに、私たちの3日分の糧食を運んでいる大隊編制の補給トラックを爆撃した。たとえ粗末なものにしても、多くの糧食を失ったのを残念に思っていると、そこへ8月30、31日の夜に攻撃を行なうとの報知が入った。

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 ガザラの時と同じように、わが軍は南部の地雷原と第8軍陣地を突破し、そこから北へ沿岸道路の方へ進撃することになった。

 第90軽師団の地区で、いまやほぼ連隊兵力となったわが第288特別隊は、全戦線の中央戦区の中心点の西に当る予備陣地に入った。

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順調に進んでいるかに思われたが……

 ロンメルの攻撃命令は、この攻撃がアリグザンドリア攻略の最終ラウンドになることを、明瞭に述べていた。

 攻撃は予定した夜にはじまった。地雷を掘りだし、月の出を待って、ドイツ軍は掩護砲火の下を、地雷原を通って進撃した。8月31日の午前、わが軍は地雷原の東部の一地点に到達した。

 予備陣地にいる私たちはおだやかなものだった。ただひっきりなしに空襲があるので、やむを得ず兵隊や車輛を入れる壕を、石だらけの土地に深く掘るのが一苦労だった。定期的に攻撃部隊から報告が入った。2、3の先鋒部隊は沿岸道路および鉄道に数マイルのところまで突破したらしい。ロンメルはとんとん拍子に事が運んでいた。「調子がいいぞ」と彼はいった。

 しかしまだ確定的な情勢報告、あるいは命令は出ていなかった。私たちは空襲に堪えて待つ以外に方法がなかった。

不成功に終わった奇襲攻撃

 実際はどうだったのか? ロンメルの戦車部隊は攻撃第1日の午後、アラム・エル・ハルファ山地へ進撃した。――全エル・アラメイン戦線の重要地点である(この事実はアリグザンダー将軍も後に認めている)。

 だが、突然、砲兵隊および堅固な掩蔽壕に潜む対戦車砲隊の猛反撃が、戦車部隊を迎えた。軽爆撃機が異常なほどの猛爆を行ない、戦闘機が低空から燃料および弾薬トラックを襲った。わが攻撃部隊は行動の自由を封じられ制限されてしまった。

 明らかにモントゴメリーは優勢な空軍――テッダー空軍司令官の助けを借り、その砲兵隊と有利に設置した防禦線とを最大限に活用して、戦車をくりださずに、攻撃軍を撃破しようとしていた。

 ロンメルはその第1日に、奇襲攻撃の不成功をさとった。敵はこのことを予期していたのだ。彼は予定通りアラム・エル・ハルファ山地を速やかに占領することができなかった。彼は攻撃中止を考えたが、参謀長は彼を説き伏せて戦闘を続行した。