敵軍の思うつぼ
アリグザンダーとモントゴメリーは、事態が示したように、8月5日以後つねに攻撃を予想していた。アフリカ軍団がアラム・エル・ハルファ山地を北東よりの方向から迂回――すなわちアリグザンドリアへ向かおうとしなかった時、戦闘はモントゴメリーの望んだ通りに展開した。彼はわが戦車部隊が、第44師団と戦車2個旅団の守る山地の堅塁に迫るのを待ち望んでいたのである。
戦闘の3日目、わが特別隊はいまだに予備地区で待機していた。前線からの報告は着々とあいまいなものになった。私たちはアリグザンドリアへの「最後の1発」が不発に終ったのを感じはじめた。ナイル三角州に行くとなると、エリトリアから航空機で脱出するさい、アスマラのホテルに白服3着を残してきたのが、惜しまれてならなかったが、その想いもだんだん色あせていった。この調子では、軍人としてピラミッドを眺めようという願いも、果たしてかなえられるかどうか、怪しくなったと思った。
わが戦車部隊は前進を中止した。敵はこれがロンメルの作戦上熟慮した行動かどうか、判断に迷い、第8軍の戦車をして反撃にだそうかとさえ計画した。事実は、文字通りわが軍戦車の燃料が底をついてしまったのだ。ロンメルがケッセルリングとカヴァッレーロに保証してもらった補給燃料は到着しなかった。イギリス空軍は地中海で油槽船3隻を沈め、ユンカースJu52型輸送機を多数撃墜して、直接戦場の戦闘推移のみでなく、多方面に影響をおよぼす戦術的結果をも左右しつつあった。アフリカ軍団長ネーリングは戦傷を負い、フォン・トーマ将軍がその後を継いだ。
日を追うごとに悪くなる戦況
9月3日の夜、ロンメルは敵前線突破の計画を放棄した。つづく数日間に彼は元の位置まで後退した。わが特別隊は結局出動しないで終った。そのころ500輛のシャーマン戦車がスエズに着いた。ロンメルのエジプト征服はついにむなしくなりそうだった。
エル・アラメイン=エル・ダバ間の沿岸道路の北で、14日間にわたって、私は自分の大隊を再編成し、次の戦闘にそなえて訓練をほどこした。
ドイツ本国から増援部隊が着いた。一部はかつて北アフリカのフランス外人部隊に勤務した猛者連で、一部はその時乗船を失っていた商船隊の海員上がりであった。両方とも訓練不足だったが、使い方しだいでもっとも実戦向きの連中であった。他の大隊長や中隊長は彼らを編入するのを嫌ったが、私は進んで訓練ずみのわが隊の兵隊をだして彼らを引き取った。