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大きく変わった学校の生活様式

 新型コロナウイルスは、オンライン授業や学校行事の在り方など、これまでの日本の学校の生活様式を大きく変えるような影響を与えている。マスクの着用もその一つだ。子どもたちだけでなく、教師もマスクを着用して授業しなければならない。私もマスクを着用して授業をしているが、とにかくやりづらい。とはいえ、マスクの着用は医学的にも新型コロナウイルス予防効果が認められているので、やむを得ないだろう。

 しかし、この相談ケースのように、マスクの色まで指定するような発想は、やはりこれまでの科学的な根拠を軽視するような、行き過ぎた統制に慣れ切った教育現場の価値観が生み出したものだと感じる。教師がマスクを着用した上で、フェイスシールドも着用して授業する学校もあるそうだが、これも医学的には必要ない対応であり、行き過ぎた統制の例だろう。

校則の制定根拠と問題の核心

 そもそも、学校が校則を制定できる法的根拠は何だろうか。実は、学校が校則を制定できると明記している法律はない。そのため、学説では、学校が一般市民社会と異なる部分社会であることを根拠に、自律的な規則を制定できるとする部分社会論や、学校と生徒の間の在学契約に基づき校則を制定できるとする在学契約説などが主張されている。しかし、前者は学校を一種の「治外法権」化させるおそれがあり、後者は小中学校が強制的な義務教育であり、公立学校は児童生徒が自由に契約して学校を選択できるわけではないことと矛盾する。

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 そこで、私は教員が児童生徒に対して懲戒権を行使できると学校教育法11条に規定されていることから、懲戒権を行使する際の「基準」として校則を制定できると考えている。懲戒は児童生徒にとっては不利益なことであり、教師が児童生徒に不利益を与える上では何らかの合理的な基準が必要だからだ。

 そのため、校則の内容も合理的でなければならない。校則違反を理由とする退学処分が争われた裁判でも、校則内容の合理性がまず審査された上で、校長の退学処分に関する裁量権の濫用の有無が審査されている。もし、校則内容に合理性がなければ、そもそも守らなくてもよいということである。