ドイツを代表する現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒター。彼をモデルに、ひとりの画家の過酷な宿命を描いた映画が『ある画家の数奇な運命』だ(10月2日公開予定)。フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督はリヒターに1カ月に亘る取材を敢行した。
「彼はどんな人にも、どんなことにも偏見がない、まっさらな人。例えば私が何を質問したとしても、この人は賢いとか愚かだとか考えずに答えてくれるんです。またある時は、アートギャラリーで見た作品のほとんどが酷いものばかりだったんですけど、彼は『ひどい』『これもひどい』と言いながらひとつひとつ全部を見るんです。私が『ひどいとわかっているんだから、全部見なくていいのでは』と言っても、彼にはそういう発想がないんですね。まさに(英題の)Never Look Away(=決して目をそらさない)を体現している人。とても疲れる生き方だと思いますが、私は非常に感銘を受けました」
そしてリヒターは映画化にあたって、登場人物の名前を変えること、何が事実かを明かさないことを条件に出した。
「作品を撮ったことで全てがひとつになってしまって、今となっては私自身、何が事実で何がフィクションかわからなくなっているんです。リヒターの最もアーティスティックで、最も純粋な面を蒸留してクルトというキャラクターに落とし込んだので、ある意味、リヒターのロマンチックバージョンを作った感覚でいます」
ナチスの安楽死政策によって叔母の命を奪われた主人公のクルトは、終戦後、美術学校で出会ったエリーと恋に落ちて結婚。しかし彼女の父親こそが叔母の命を奪った元ナチスの高官だったのだ。強烈な優生思想の持ち主である義父に苦しめられながらもクルトは創作に没頭していく。
「リヒターのフォト・ペインティングのブラック&ホワイトシリーズはとても政治的ですよね。ヒトラーや優生政策を実行した義父などが描かれ、ちょっと不気味です。けれどその後、女の人が階段に立っている、非常に色彩豊かな絵が出てきます(劇中にも登場する『エマ―階段を降りる裸婦』)。リヒターがその絵を描いた頃、ちょうど当時の奥さんの妊娠が発覚しているんですね。映画でもエリーは妊娠しますが、私はそれを“勝利”だと思ったし、それをきっかけにこの物語を着想したくらい象徴的なことだと捉えています。全ての素晴らしい芸術作品は、死に対する生の、あるいは破壊に対する創造の、あるいは苦しみに対する喜びの勝利を表していると思う。苦しみを燃料にして生まれたアートを見て、私たちは元気が出たり慰められたりする。つまり、アートの存在自体が苦しみに勝つという証なんです」
アートの勝利を描くと同時に、クルトとエリーの深い愛についての物語でもある。
「私も本作を愛の物語だと解釈しています。どんな映画でも愛が中心にないと私は退屈に感じて寝てしまうんですね。それと、エロチックな側面がないと、これもまた寝てしまいますね(笑)」
Florian Henckel von Donnersmarck/1973年、ドイツ・ケルン生まれ。長編初監督作(兼脚本)『善き人のためのソナタ』(2006)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。他の作品に『ツーリスト』(2010)など。
INFORMATION
映画『ある画家の数奇な運命』
https://www.neverlookaway-movie.jp/