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超進学校「麻布」 一人前の卒業生になるために必要な“沈没”経験とは

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谷垣禎一さんは4留、前川喜平さんは2留

 元自民党総裁の谷垣禎一さんは、山岳部に所属し勉強をおろそかにしていた。麻布では勉強をサボっていても、先生たちがお尻を叩いてくれることはほとんどない。

「山にも登っていたし、勉強よりも本を読んでいたりしていろいろなことに手を出していたものですから、高1のころの成績なんてめちゃめちゃ。数学が15点、英語が20点くらい。だけど、体育と音楽と美術がどれも99点だった。どう考えてもおかしい。当時全教科の平均点が60点以上ないと進級できないという規則があったので、担任の先生が、私を進級させるために実技教科の先生に頭を下げてくれたということですよ」(谷垣さん)

元自民党総裁の谷垣禎一さん ©️JMPA

 現役で東大に進学したものの、東大には8年間在籍している。登山部に所属しており、大学よりもテントの中で過ごす時間のほうが長かったからだ。さらに長い司法浪人生活を経てようやく合格できたときには30代も半ばになっていた。

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「何度も何度も落ちて、それは暗澹たる日々でしたよ。あとから思えば、大学でちゃんと講義を聞いて、その学問を体系的に学んでいれば、もうちょっと早く受かっただろうと思います。もうちょっと、やるべきときにやるべきことをやっとけよという……。結局自分の75年を振り返ってみると、そういうことの連続だったような気もしますけれど(笑)」(谷垣さん)

前川喜平さんは「女の子3人に同時にフラれた」と語る ©️文藝春秋

 加計学園問題で一躍注目を浴びた元文部科学事務次官の前川喜平さんは、麻布時代、好意を寄せていた女の子3人に同時にフラれた経験を話してくれた。

「小学校のときに好きだった女の子3人を誘うんです。東洋英和に行った子が2人と女学館に行った子1人です。当時文化祭は2日間だったので、東洋英和に行った2人は1日目と2日目に分けて誘いました。女学館の子はそれとはまた時間がかぶらないように誘いました」(前川さん)

 女の子慣れしていないのに、なぜそんなに欲張るのか。女の子慣れしていないからこそ欲張ってしまったのかもしれない。結局時間調整に失敗し、前川さんは右往左往するものの、三股があっさりバレる。

「それはもうね、一生の不覚というかね。何年も恋い焦がれていた子たちの信用を失っちゃったわけですよ。やっぱりね、的は絞れと。これは麻布での学びの1つですね」(前川さん)

 東大法学部時代、サークル活動として始めた仏教研究にのめり込み、授業より座禅修行を優先したこともあって、2度の留年を経験している。

「麻布の自由の精神と、禅の悟りの世界はつながっています。麻布という環境で育ったことと、仏教で学んだことが相まって、究極的な自由を希求する姿勢が身についたように思います」(前川さん)