苦労していないというコンプレックスがある
ニッポン放送のアナウンサーの吉田尚記さんは、麻布時代、勉強そっちのけでアイドルの追っかけにハマっていた。
一方で、何気ない雑談が苦手な「コミュ障(コミュニケーション障害)」を自認している。大学では落語研究会に所属していたため、その話術でアナウンサーの試験に合格してしまったものの、実際には臨機応変なコミュニケーションが苦手。内定をもらってから鬱になっていく。必死の思いでコミュ障を克服していく道のりを、吉田さんは「自分を許すための手順だった」と表現する。
「僕には、苦労していないコンプレックスがあったんです」(吉田さん)
日本の受験システムにおいてトントン拍子に来てしまったひとには割とあるコンプレックスではないだろうか。
東大卒プロゲーマーとして有名なときどさんは、中高生時代を麻布というよりゲームセンターですごした。
東大工学部時代には研究に情熱の限りを傾けて実際に国際的な学会で賞をもらうほどの成果を出したにもかかわらず、大学院進学試験での点数が足りずに希望の研究室に入れなかった。そのとき、自分がそれまで信じていた社会システムへの失望を感じるとともに、自分を見失っていく。
「プロになってからも結果が出せなくて悩んだことはありましたが、いちばんキツかったのは、自分という人間がわからないときでした。あらゆる物事が、僕に決断を迫っているような気がしました。『お前はこれからどう生きるのだ』と。あのときまではわかっていなかったんでしょうね」(ときどさん)
群れるでもなく、孤独を受け止め、自由に生きる
これらの沈没経験を乗り越えて彼らは自分の進むべき道を見出す。世間のモノサシではなく、自分のモノサシに従って生きられるようになるのだ。
麻布の教育は中高の6年間では終わらず、卒業後一度はとことん沈没することでようやく真の麻布生として仕上がるのではないかというのが、『麻布という不治の病』を書き終えた私の感想である。
麻布は自由な学校の代名詞のようにいわれることが多い。しかしそれは麻布の一面の描写にすぎない。自由であるということは他の誰でもない自分だけのモノサシに従って人生を生きるということだ。自ずと孤独な旅となる。
せっかく自由な人生への道が目の前にあっても、多くのひとはそこを行く孤独に耐えきれず、自ら自由を放棄してしまう。あるいは孤独に耐えられない者同士で群れる。それではせっかく中高時代に得た自由に生きる術を活かしきれないのではないだろうか。
麻布生に限らず、これは「一流」になるための鉄則なのではないかと思う。