不気味さあっての歓楽街
歌舞伎町は性的に様々な欲求や嗜好を満たす街といっていい。客に歓楽を約束する意味で歓楽街というのだろうが、歓楽街は肯定的な意味合いだけを含んでいるのではない。訪客の多くは楽しさや嬉しさだけでなく、街の底に暗さや不気味さ、怖さなどが淀んでいると感じていよう。逆にいえば、暗さや怖さが含まれているからこそ歓楽街ともいえる。
街で流通している99%が商業的なセックスであること、女の裏に男の暴力が存在することは訪客のほとんどがうすうす察していることにちがいない。
戦後、とりわけ女性の性意識は様変わりした。戦前や戦後間もなくのように、親の貧困や急場の危機の犠牲で仕方なく身売りされることを受け入れる女性は少なくなった。逆に女性として経済的に最も効率がいい仕事として、ルンルン気分で体を売る、色気を売る女性も増えたことだろう。ブランドもののバッグや服を買うために、あるいは海外旅行やプチ整形を行うために、援助交際や売春、男の遊び友達と組んだ美人局(つつもたせ)、恐喝、女子高生売春どころか中学生売春など、女性の性意識や倫理の乱れを語る風俗は歌舞伎町を舞台にしても行われている。
売買春が倫理的にどうかということはここでは問わない。男の客にとって、カネさえ出せば、若い女とも年増の女性とも、痩せた女性とも太った女性とも、日本人とも外国人とも、性交できるという現実は便利なことだろう。売り手の女性にとっても、自分の体を男に自由にさせることだけでカネになるという現実はそこそこコンビニエントなはずである。
だが、売買春は局部への接触権や射精権を売った買ったという商取引だけで完結する問題ではない。単なる経済行為ではすまず、すまないからこそ歓楽街という舞台、仕掛けがあるともいえよう。
1956年5月に売春防止法が公布された。以来、婦人相談員として30年間新宿で性を売る女たちを見てきた兼松左知子はその著『閉じられた履歴書―新宿・性を売る女たちの30年』(朝日文庫)の中で、ベテランの娼婦から次のように言われたと記している。
〈いっとくけどね、売春なんて……兼松さんたちが考えているような、そんな、なまやさしいもんじゃない。売春するってことは、自分で自分をつぶすことよ〉